アナザーストーリーver.24|電子カルテの画面を見る看護に限界を感じた私が見つけた「手当て」の原点を取り戻せた場所で、私はまた輝き始めた

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林 美紀・20年目(介護老人保健施設)


前年の秋。

高円寺の高架下には、古着店や昔ながらの個人商店が並び、どこか懐かしい街の空気が漂っていた。

朝晩の空気はすっかり涼しくなり、商店街を抜ける風が、色づき始めた街路樹の葉を揺らしている。

歩道には黄色や茶色の落ち葉が点々と広がり、乾いた風が吹くたび、カサカサと音を立てて転がっていった。

看護師として20年目。

病棟では経験を重ねた看護師として、後輩から相談を受けたり、難しい場面で意見を求められたりすることも多くなっていた。

それでも、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、胃の奥がキュッと縮むような感覚だけは変わらなかった。

ロッカー室でナース服に袖を通し、深く息を吐く。

それが、いつの間にか私の毎朝の習慣になっていた。


患者さんの顔より、電子カルテを見る時間が増えていった

私の心をすり減らしていたのは、急性期病棟の夜勤や人間関係だけではなかった。

ここ数年、電子カルテの機能や入力方法が変わるたびに、覚えなければならないことが増えていた。

もちろん、電子カルテは患者さんの情報を共有し、安全な医療を支えるために欠かせないものだ。

私自身、その必要性は十分理解していた。

それでも、日々の業務の中で、

「患者さんの顔を見る時間より、画面を見る時間のほうが長くなっていないだろうか」

と思う瞬間が増えていた。

20年間、私は患者さんの肌に触れ、その表情や呼吸、声の調子から小さな変化を感じ取ることを大切にしてきた。

「林さん、新しいカルテの入力フォーマット、確認しておいてください。看護計画の評価方法も少し変わっています」

「分かりました」

ナースステーションでは、システム変更についてのやり取りが飛び交う。

患者さんのもとへ行く。

ケアをする。

戻って入力する。

次の患者さんへ行く。

また戻って入力する。

記録しなければ、情報はチームに共有できない。

だから入力は必要だ。

分かっている。

でも、ある日。

ベッドサイドから離れようとした私に、一人の患者さんが言った。

「林さん、もう行っちゃうの?」

その一言に、足が止まった。

「ごめんなさい。またあとで来ますね」

そう答えながら、私はナースステーションへ戻った。

画面には、まだ入力していない項目がいくつも残っていた。


「私の看護は、タイピングの速さだけじゃなかったはず」

その日の勤務後。

電子カルテへ記録を入力しながら、ふと思った。

「私、今日この患者さんと何分話したんだろう」

20年間。

患者さんの手を握ってきた。

背中をさすってきた。

不安そうな表情に気づいて声をかけてきた。

言葉にならない苦しさを、呼吸や表情から読み取ろうとしてきた。

もちろん、記録も看護の一部だ。

電子カルテが悪いわけではない。

ただ、今の環境では、自分が一番大切にしたい看護とのバランスが取れなくなっているように感じていた。

「私の看護師としての強みは、タイピングの速さだけじゃない」

そう思った。

「患者さんに触れて、話を聞いて、その人の小さな変化に気づく。私は、そんな看護をもう一度大切にしたい」

秋の夜。

病院を出ると、少し冷たい風が吹いていた。

街灯の下を、黄色い落ち葉が転がっていく。

その光景を見ながら、私は初めて、

「違う場所で働くことを考えてみよう」

と思った。


「20年目で辞めるなんて」私を縛った責任感

けれど、決意したからといって、すぐに転職できたわけではなかった。

私を一番強く縛ったのは、20年間積み上げてきた人間関係だった。

新人看護師。

若手ナース。

プリセプター。

中堅スタッフ。

「美紀さん、ちょっと相談してもいいですか?」

と声をかけられることも多かった。

自分が病棟のすべてを支えているなどとは思っていない。

でも、20年間働いてきたからこそ、自分にできる役割があるとも感じていた。

「ここで私が抜けたら、後輩たちの負担が増えるんじゃないか」

「変化についていけなくなったから辞めたと思われるんじゃないか」

そんなことばかり考えた。

同じ病棟には、私より12年後輩の8年目ナース、あんこがいた。

ある日の休憩中。

「美紀さん、最近ずっと疲れてません?」

あんこが聞いてきた。

「そう見える?」

「はい。前よりパソコンの前でため息ついてる気がします」

私は苦笑した。

「見られてたか」

「見てますよ。私、看護師ですから」

思わず笑った。

その何気ない会話に、少しだけ救われた。


「20年間の急性期経験は無駄になる?」新しい場所へ移る怖さ

もう一つ怖かったのは、キャリアだった。

私は20年間、急性期病院で働いてきた。

状態変化の観察。

急変対応。

点滴や処置。

医師との連携。

後輩への指導。

患者さんや家族への対応。

数え切れない経験をしてきた。

だからこそ、

「今さら違う環境へ行って、本当に通用するのだろうか」

という不安があった。

特に気になったのが、介護老人保健施設だった。

急性期病棟とは、看護師に求められる役割も患者さんとの関わり方も違う。

「20年間身につけてきたものが、生かせなくなるんじゃないか」

「看護師としての技術が衰えてしまうんじゃないか」

そう考えると怖かった。

夜、ベッドに入ってから求人サイトを開く。

一般クリニック。

訪問看護。

健診センター。

介護老人保健施設。

気になる求人を見つけても、

「応募する」

というボタンが押せない。

指を止めたまま、画面を閉じる。

そんな日々が二ヶ月以上続いた。


私が求めていたのは「昔の看護」ではなかった

迷い続けるうちに、一つのことに気づいた。

私は、電子カルテのない時代へ戻りたいわけではない。

新しいシステムを否定したいわけでもない。

昔の看護だけが正しいと思っているわけでもない。

ただ、

「患者さんに触れること」

「その人の話を聞くこと」

「生活を見ること」

を、もう一度自分の看護の中心に置きたかった。

20年間で身につけた観察力や判断力を、もっと生活に近い場所で生かしてみたい。

そんなときに見つけたのが、高円寺周辺にある介護老人保健施設だった。

利用者さんの健康管理をしながら、介護職やリハビリ職、医師などと連携し、在宅復帰やその人らしい生活を支える。

「ここなら、病気だけではなく、その人の暮らしを見る看護ができるかもしれない」

そう思った。

そしてその夜。

私は二ヶ月以上押せなかった「応募する」のボタンを、ようやく押した。


転職から3ヶ月。老健で働く私

そして今年の秋。

介護老人保健施設へ転職して三ヶ月が経った頃。

私は、以前の病棟で一緒に働いていた8年目ナースのあんこと、高円寺の商店街から少し外れた路地裏のカフェで向かい合っていた。

街路樹は黄色や赤に色づき、乾いた秋風が吹くたび、テラスのそばを落ち葉が転がっていく。

古い建物の間から差し込む午後の日差しが、木製のテーブルを柔らかく照らしていた。

「美紀さん、なんだか表情が穏やかになりましたね」

あんこが、温かいカフェラテのカップを両手で包みながら微笑んだ。

「そう?」

「はい。病棟にいた頃、ずっと何かに追われてる感じだったから」

私は笑った。

「今だって追われてるよ。老健は老健で大変だから」

「どんなところが?」

「いっぱいある」

私は笑いながら答えた。


老健は「医療が少なくて楽な場所」ではなかった

老健での仕事は、決して楽ではなかった。

利用者さんの健康状態を確認する。

薬を管理する。

食事や排泄の状態を見る。

皮膚の状態を確認する。

感染症にも注意する。

必要があれば医師へ報告し、状態変化に対応する。

高齢の利用者さんには複数の疾患を抱えている人もいる。

体調が急に変わることだってある。

そして、看護師だけで仕事が完結するわけではない。

介護職。

医師。

PTやOTなどのリハビリ職。

ケアマネジャー。

管理栄養士。

さまざまな職種と情報を共有しながら、その人の生活を支えていく。

先日も、認知症のある利用者さんの表情がいつもと違うことを、介護スタッフが教えてくれた。

「今日、なんとなく元気がない気がするんです」

確認すると、確かに普段とは少し様子が違った。

私は、

「20年も看護師をやっているのに、最初に気づいたのは私じゃなかった」

と少し落ち込んだ。

でも同時に気づいた。

ここでは、

「誰が最初に気づいたか」

より、

「みんなで気づいたことを共有して、その人を支える」

ことのほうが大切なのだ。


20年目になって、もう一度「手当て」の意味を知った

「この前ね」

私はあんこに話した。

一人の利用者さんが、夕方になると落ち着かなくなる日が続いていた。

私はその人の隣に座った。

「どうしました?」

すぐには答えなかった。

だから、少し待った。

しばらくして、その人がぽつりと言った。

「家に帰らなきゃ」

私はその手にそっと触れた。

「帰りたいんですね」

それから少しずつ話を聞いた。

何か特別な処置をしたわけではない。

ただ隣に座り、手に触れ、話を聞いただけだった。

やがて、その人の表情が少しずつ穏やかになった。

「そのときね、思ったの」

私は自分の手を見た。

「私が取り戻したかったのって、こういう時間だったんだなって」

あんこは静かに頷いた。

「美紀さんらしいですね」

「そうかな」

「そうですよ」


電子カルテを離れても、20年間の経験は消えなかった

もちろん、老健にも記録はある。

パソコンやタブレットを使うこともある。

必要な情報を残し、多職種で共有するために記録は欠かせない。

私は、画面を見る仕事から完全に離れたわけではなかった。

でも、以前とは違うと感じていた。

大切なのは、

「デジタルか、アナログか」

ではなかった。

自分がどんな看護を大切にしたいのか。

そして、その看護を実践しやすい環境なのか。

そこだった。

急性期で身につけた観察力。

状態変化を予測する力。

異変を感じたときに動く力。

医師へ必要な情報を伝える力。

患者さんや家族の不安を受け止める力。

20年間で身につけたものは、老健でも確かに生きていた。

「20年間を捨てたんじゃなかった」

私はあんこに言った。

「20年間の経験を持ったまま、もう一度、自分が大切にしたかった看護に近づいただけなんだと思う」

あんこは、ふわりと笑った。

「美紀さんが、自分でたくさん考えて選んだ場所ですもんね」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に残っていた最後の迷いが、すっと軽くなるような気がした。


20年目。私はもう一度、患者さんに触れる看護を選んだ

カフェを出ると、高円寺の街は秋の夕暮れに包まれていた。

商店街の明かりが少しずつ灯り始め、黄色や赤に色づいた葉が、秋風に乗って路地を舞っている。

去年の秋。

同じ高円寺の街を歩きながら、

「このまま画面ばかりを見る看護を続けるしかないのかな」

と思っていた。

そして今年の秋。

私はまた、この街を歩いている。

電子カルテが悪かったわけではない。

急性期病院が間違っていたわけでもない。

ただ、20年目の自分が、

「これから、どんな看護師として働いていきたいのか」

を考え直した。

そして私は、患者さんの生活に近い場所で、これまで培ってきた経験を生かす道を選んだ。

20年目だから、もう変われないのではない。

20年経験したからこそ、自分が本当に大切にしたいものが分かった。

秋風が、色づいた街路樹を揺らした。

私は自分の両手を見つめた。

新人の頃から何人もの患者さんに触れてきた手。

急変時には必死に動かしてきた手。

後輩の肩を叩いてきた手。

そして今は、利用者さんの手をそっと包んでいる。

働く場所は変わった。

でも、この手で誰かを支えることは変わらない。

私はその手をコートのポケットに入れ、高円寺の夕暮れの中をゆっくり歩き出した。


💙あんこからのあいさつ💙

今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?

今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。

あなたの未来を守る「お守り」です。

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