田中 萌・3年目(看護師派遣)
去年の初冬。
秋葉原駅の電気街口から溢れ出す人の波に逆らうように歩きながら、私は冷たいビル風に思わず首をすくめた。
街路樹にはまだ黄色く色づいた葉がわずかに残り、乾いた風が吹くたび、歩道の上を落ち葉がカサカサと転がっていく。
巨大な電子看板から放たれる鮮やかな光。駅前の雑踏に混ざる、どこか浮き立つような街の空気。
ここは、私が生きるためのエネルギーをもらえる「推し」の街だ。
けれど、当時の私は、白衣の入ったトートバッグの重みに耐えるように、アスファルトを見つめながら歩いていた。
看護師として3年目。
一人でできる業務が増え、後輩から質問されることも少しずつ増えてきた。
それでも、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、胃がキュッと縮むような緊張感だけは、1年目の頃から変わらなかった。
ロッカー室の鏡の前でナース服に袖を通し、深く息を吐く。
それが、いつの間にか私の毎朝の習慣になっていた。
半年前から楽しみにしていた「最推し」のドームツアー
私の心を決定的に折ったのは、急性期病棟の残業や忙しさそのものではなかった。
それは、ずっと楽しみにしていた「最推し」のドームツアーだった。
チケットの抽選結果を見た日のことは、今でも覚えている。
「当たった……!」
スマートフォンを握りしめて、一人で飛び跳ねた。
その日から半年近く、私はそのライブを楽しみに働いてきた。
きつい夜勤も。
残業も。
先輩から注意されて落ち込んだ日も。
「ライブまで頑張ろう」
そう思えば乗り越えられた。
だから私は、早い段階からその日の休みを希望していた。
けれど勤務表が出た日。
自分の名前の横には、
「夜」
の文字があった。
私は何度も見直した。
「嘘でしょ……」
「推し活より仕事を優先して」その言葉に何も言えなかった
私は師長へ相談した。
「すみません。この日、かなり前から休みを希望していたと思うんですけど……」
師長は勤務表を確認した。
「ああ、この日ね」
「どうしても外せない予定があって……」
少し間があった。
「田中さん、今回は夜勤をお願いしたいの。勤務希望が重なっていて、どうしても調整できなくて」
「でも……」
「希望を全部通すのは難しいから。申し訳ないけど、今回は協力してもらえる?」
もちろん、病棟勤務ではすべての休暇希望が必ず通るわけではない。
患者さんは365日いる。
誰かが勤務しなければならないことも分かっていた。
それでも、
「半年も前から、この日だけはと思っていたのに……」
その気持ちを飲み込むのは苦しかった。
周囲へ相談して勤務交代できないかとも考えた。
でも、すでに希望が重なっていて、調整は難しかった。
結局、私はライブを諦めた。
推しが歌っている時間、私はナースコールを取っていた
ライブ当日の夜。
私は病棟にいた。
時計を見る。
「もう始まってるな……」
今頃、会場の照明が落ちている。
歓声が上がっている。
ずっと聴きたかった曲を歌っているかもしれない。
そんなことを考えた瞬間、
ナースコールが鳴った。
私は立ち上がった。
「はい、今行きます」
もちろん、患者さんには関係のないことだ。
仕事中なのだから、目の前の患者さんへ集中する。
それが看護師として当然だと思っていた。
でも、休憩時間。
スマートフォンには、ライブへ行った人たちの楽しそうな投稿が流れてきた。
画面を閉じた。
泣きそうになった。
「私、何のために働いてるんだろう」
仕事をするために生きているのか。
生きるために仕事をしているのか。
分からなくなった。
「3年目で辞めていい?」まだ経験が足りないという怖さ
それでも、すぐに辞められたわけではなかった。
私はまだ3年目だった。
できる仕事は増えてきた。
夜勤にも入る。
後輩から質問されれば、自分が分かる範囲で答える。
若手の一人として、病棟の戦力に数えてもらえるようにもなっていた。
だからこそ、
「今辞めたら迷惑なんじゃないか」
と思った。
誰かの夜勤が増えるかもしれない。
残った人の負担が増えるかもしれない。
それに、
「たった3年で辞めるの?」
「ライブに行きたいから転職するの?」
そんなふうに思われることも怖かった。
同じ病棟には、私より5年先輩の8年目ナース、あんこ先輩がいた。
ある日、休憩室であんこ先輩に聞かれた。
「萌ちゃん、ライブ行けなかったんだって?」
「……はい」
「楽しみにしてたもんね」
「めちゃくちゃ楽しみにしてました」
私は笑おうとした。
でも、うまく笑えなかった。
あんこ先輩は、
「そんなことで落ち込むなんて」
とは言わなかった。
ただ、
「そっか。それはつらかったね」
と言ってくれた。
その一言で、少しだけ救われた。
「推し活のために転職するなんて」自分自身が一番否定していた
転職を考え始めても、もう一つの迷いがあった。
「推し活のために仕事を変えるなんて、子どもっぽいのかな」
という気持ちだった。
世の中には、もっと立派な転職理由があるように思えた。
キャリアアップ。
給与アップ。
専門性。
結婚。
育児。
介護。
それに比べて、
「ライブへ行きたいから」
なんて言ったら笑われる気がした。
でも、本当にそうなのだろうか。
私にとって推し活は、ただの暇つぶしではなかった。
好きな音楽を聴く。
ライブへ行く。
次のイベントを楽しみにする。
友達と感想を話す。
その時間があるから、また仕事を頑張れた。
「自分にとって大切な時間を、大切だと言ってもいいんじゃないか」
少しずつ、そう思うようになった。
看護師派遣という働き方を知った夜
夜、スマートフォンで求人を見ていたときだった。
「看護師派遣」
という働き方が目に入った。
病院。
介護施設。
デイサービス。
健診。
イベント救護。
働く場所も契約期間もさまざまだった。
勤務日について相談できる求人もある。
「こういう働き方もあるんだ……」
もちろん、良いことばかりではない。
勤務先によって求められる経験も違う。
希望する日に必ず仕事があるとは限らない。
収入が毎月同じになるとも限らない。
初めての職場へ行く緊張もある。
それでも、
「働き方を一つの病棟だけに合わせなくてもいい」
ということが、私には衝撃だった。
ただ、すぐには応募できなかった。
「急性期を離れたら戻れない?」二ヶ月以上押せなかった応募ボタン
私はまだ3年目。
「今、急性期を離れて大丈夫なのかな」
という不安があった。
もっと病棟経験を積むべきではないのか。
看護技術が落ちるのではないか。
派遣で働いたらキャリアとして評価されないのではないか。
将来また病院へ戻りたくなったとき、困るのではないか。
怖かった。
夜になると求人を見る。
閉じる。
次の日も見る。
また閉じる。
そんな日々が二ヶ月以上続いた。
一般クリニックも見た。
健診センターも見た。
訪問看護も調べた。
今の病棟に残ることも何度も考えた。
そして、ようやく気づいた。
私が欲しかったのは「推し活だけを優先する人生」ではなかった
私は、
「仕事より推しを優先したい」
のではなかった。
仕事も大切。
看護師として成長したい気持ちもある。
でも、仕事だけが人生のすべてになる働き方はしたくなかった。
仕事をする私。
ライブで思い切り笑う私。
友達と語る私。
遠征先で知らない街を歩く私。
全部、自分だった。
そのどれかを犠牲にしなければ働けないのではなく、
できるだけ両方を大切にできる働き方を探してみたい。
それが私の答えだった。
私は、自分の経験で応募できる派遣求人を調べ、仕事内容や勤務条件を一つずつ確認した。
そしてようやく、一歩を踏み出した。
今年の初冬。転職から3ヶ月が経った私
そして今年の初冬。
看護師派遣という働き方を始めて三ヶ月が経った頃。
私は、以前の病棟で一緒に働いていた8年目ナースのあんこ先輩と、秋葉原の路地裏にあるカフェで向かい合っていた。
街には冬物のコートを着た人が増えている。
ビルの谷間を冷たい風が抜け、街路樹に残った黄色い葉を揺らしていた。
夕方が近づくにつれて、電子看板や街のイルミネーションが少しずつ存在感を増していく。
「萌ちゃん、なんか表情変わったね」
あんこ先輩が、温かいカフェラテを飲みながら言った。
「そうですか?」
「うん。病棟にいた頃、勤務表が出るたびに絶望してたじゃん」
「してましたね」
私は笑った。
「でも、今も結構大変ですよ」
派遣には「自由」と引き換えに、別の難しさがあった
看護師派遣の仕事は、決して自由で気楽な働き方ではなかった。
勤務先が変われば、ルールも変わる。
物品の場所。
記録方法。
スタッフ同士の動き方。
看護師に求められる役割。
初めて行く職場では、まずそれを短時間で把握しなければならない。
ある日、初めて勤務したデイサービスで、処置の流れを十分につかめず戸惑ったことがあった。
常勤スタッフに確認しながら対応したものの、
「病棟ではできていたのに」
と落ち込んだ。
別の日には、
「来月、希望している日に思ったほど仕事が入らなかったらどうしよう」
と不安になった。
収入も勤務日数によって変わる。
社会保険などの扱いも契約内容や働き方によって異なる。
自分で確認しなければならないことが増えた。
「自由って、全部が楽になることじゃないんですね」
私が言うと、あんこ先輩が笑った。
「そりゃそうだよ」
「ですよね」
私も笑った。
3年間の病棟経験は、違う場所でもちゃんと残っていた
それでも、嬉しい発見もあった。
デイサービスで利用者さんの顔色が気になったとき。
イベント救護で体調を崩した人の話を聞いたとき。
健診業務で緊張している人へ声をかけたとき。
病棟で身につけた経験が、自然に出てくることがあった。
表情を見る。
呼吸を見る。
話を聞く。
状態を整理する。
必要なら周囲へ相談する。
「3年間しかない」
と思っていた。
でも、
「3年間もやってきた」
とも言える。
もちろん、まだ知らないことはたくさんある。
経験したことのない業務もある。
だから、どんな派遣先でも働けるわけではない。
自分の経験で対応できる仕事を選び、分からないことは確認する。
それも、今の私には大切な働き方だった。
「次のライブの日、最初から仕事を入れなかったんです」
「そういえば、推しは?」
あんこ先輩が聞いた。
私は思わず笑顔になった。
「来月、ライブあります」
「行けるの?」
「行きます!」
私はスマートフォンのカレンダーを見せた。
ライブの日には、大きなハートマーク。
前後の日程も確認して、無理のない範囲で仕事を入れていた。
「今回は、その日に仕事を入れないように、早めに予定を組んだんです」
もちろん、派遣だから何もかも思い通りになるわけではない。
希望する仕事が希望日に見つからないこともある。
収入とのバランスも考えなければならない。
でも、
自分の予定を見ながら、自分で働き方を組み立てる余地が以前より増えた。
それが私には大きかった。
「よかったね」
あんこ先輩が言った。
私は少し考えてから答えた。
「はい。でも、ライブに行けるようになったことだけじゃないんです」
「うん?」
「自分の好きなものを『こんなの大したことじゃない』って、自分で否定しなくなったことが、一番よかったかもしれません」
あんこ先輩は何も言わず、ゆっくり頷いた。
去年諦めた「自分の時間」を、今年は自分で守っている
カフェを出ると、秋葉原の街には初冬の冷たい風が吹いていた。
去年の初冬。
私はこの街を歩きながら、
「推しのライブにも行けないなら、何のために働いているんだろう」
と思っていた。
今年の初冬。
同じ街を歩いている。
看護師であることは変わらない。
仕事で悩むこともある。
失敗する日もある。
収入を考えて、勤務を増やすこともある。
でも、一つだけ大きく変わった。
自分にとって大切な時間を、自分自身が大切にするようになった。
推し活だから軽い。
仕事だから重い。
そんなふうに、人生の価値を誰かに決めてもらう必要はない。
仕事も大切。
好きなことも大切。
どちらも自分の人生だ。
少し先を歩いていたあんこ先輩が振り返った。
「萌ちゃん、寒いよ。早く行こう」
「はい!」
私は笑って追いかけた。
ビルの間から吹き抜ける初冬の風は冷たい。
でも、街の光は去年より少し明るく見えた。
来月。
私は推しに会いに行く。
そして、その翌週にはまた看護師として働く。
どちらかを諦めるのではなく、
どちらも大切にできる方法を、自分で探していく。
それが今の私が選んだ、新しい働き方だった。
💙あんこからのあいさつ💙
今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?
今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。
あなたの未来を守る「お守り」です。

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