あんこ・8年目(未来への脱出)
去年の冬。
丸の内仲通りを吹き抜けるビル風は、ガラスのように冷たく張り詰めていた。
格式ある赤レンガの東京駅舎を背に、厚手のコートに身を包んだ人々が足早に行き交う。
街路樹はすっかり葉を落とし、澄んだ冬空へ細い枝を伸ばしていた。
その街を歩きながら、私はふと思った。
「病院の外には、こんなにたくさんの人が、それぞれの場所で働いているんだ」
当たり前のことなのに、不思議だった。
私にとって「働く場所」といえば、ずっと病院だったから。
看護師として8年目。
その頃の私は毎朝、白衣の入ったトートバッグを抱えて病院へ向かっていた。
ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間、胃がキュッと縮む。
ロッカー室でナース服に袖を通し、深く息を吐く。
何年も繰り返してきた、いつもの朝だった。
でも、去年の冬。
私のなかで何かが少しずつ変わり始めていた。
29人の「辞めたい」を聞いてきた私
私の心を動かしたのは、急性期病棟の残業や夜勤、人間関係だけではなかった。
それ以上に大きかったのは、この病院で働きながら、たくさんの看護師たちの悩みを聞いてきたことだった。
人間関係に疲れた人。
夜勤を続けられなくなった人。
子育てとの両立に悩んだ人。
急性期のスピードについていけず、自信を失った人。
もっと患者さんと向き合いたいと思った人。
違う分野へ挑戦したいと思った人。
働き方そのものを変えたいと思った人。
そして、長く病棟を支えてきたツボイ先輩のように、
「私には、この生き方しかない」
と思い込んでいた人もいた。
私は、そんな29人の「辞めたい」のそばにいた。
「あんこ、私ね、自分の人生を生きてみる」
夜勤明けの休憩室。
薄暗い非常階段。
誰もいなくなったナースステーション。
病院近くのカフェ。
いろいろな場所で、いろいろな人の話を聞いた。
「あんこ、もう限界かもしれない」
「私、看護師向いてないのかな」
「転職したいけど怖い」
「今辞めたら、みんなに迷惑だよね」
「ここ以外で通用するのかな」
最初の頃、私はただ聞くことしかできなかった。
「大丈夫ですよ」
なんて簡単には言えなかった。
転職すれば必ず幸せになるわけではない。
残ることが間違っているわけでもない。
だから私は、
「そっか」
「それはつらかったですね」
「どうしたいと思ってます?」
そう言いながら、一緒に考えた。
そして、一人、また一人と病棟を離れていった。
ある人はクリニックへ。
ある人は訪問看護へ。
ある人は健診センターへ。
ある人は介護施設へ。
ある人は病院以外の仕事へ。
ある人は、これまでとはまったく違う働き方へ。
最後の日。
「ありがとう」
と言って病棟を出ていく背中を、私は何度も見送った。
辞めていった人たちは「逃げた人」ではなかった
不思議なことがあった。
病棟にいた頃、
「もう無理」
と言って泣いていた人が、しばらくして会うと少し違う顔をしていた。
新しい職場にも悩みはある。
人間関係もある。
失敗もする。
「思っていたのと違った」
と話す人だっていた。
それでも、
「自分で選んだから、もう少しやってみる」
と言う。
その言葉を何度も聞いた。
私は少しずつ気づいていった。
病院を離れた人たちは、
看護師から逃げたのではない。
自分に合う看護や、自分に合う生き方を探すために、一歩を踏み出したのだ。
その背中を見るたび、私の胸の奥にも小さな灯りがともった。
「病院の中だけが、看護師の生きる世界じゃないのかもしれない」
8年目。気づけば私も「支える側」になっていた
一方で、私自身は病棟に残っていた。
8年目。
新人だった頃とは、役割も変わった。
リーダー業務。
急変対応。
若いスタッフからの相談。
新人や後輩のフォロー。
病棟全体を見ながら動くことも増えた。
「これ、あんこさんに聞いていいですか?」
「ちょっと相談してもいいですか?」
そう声をかけてもらえることが嬉しかった。
頼られることも嫌いではなかった。
むしろ、
「私にも病棟で役に立てることがある」
と思えた。
だからこそ、苦しかった。
29人の背中を見送ってきた私自身が、
「私も外へ出てみたい」
と思い始めてしまったから。
「私まで辞めたら、誰がみんなの話を聞くんだろう」
転職を意識した瞬間、最初に出てきたのは期待ではなかった。
罪悪感だった。
「私が辞めたら、誰が後輩の話を聞くんだろう」
「夜勤はどうなるんだろう」
「残った人の負担が増えるんじゃないか」
「相談に乗っておいて、自分だけ辞めるの?」
そんなふうに思われることも怖かった。
私は29人に、
「自分の人生を考えていいと思う」
と言ってきた。
なのに、自分の番になった瞬間、
「私は残らなければならない」
と思っていた。
ある夜勤明け。
更衣室で白衣を脱ぎながら、ふと笑ってしまった。
「私、人には言えるのに、自分には言えないんだ」
「病院を離れたら、8年間が無駄になる?」という怖さ
もう一つ、大きな不安があった。
私は病棟看護しか知らない。
急性期で8年間。
患者さんの観察。
点滴。
処置。
急変対応。
夜勤。
医師との連携。
多職種との調整。
後輩のフォロー。
たくさんのことを経験してきた。
でも、それは病院の外でも通用するのだろうか。
クリニック。
訪問看護。
健診。
介護施設。
産業看護。
医療系企業。
派遣。
求人を見るたび、
「面白そう」
と思う。
その直後に、
「でも私にできる?」
という声が出てくる。
病院を離れたら技術が落ちるのではないか。
戻りたくなったとき、戻れないのではないか。
8年間積み上げてきたものを、自分で捨てることになるのではないか。
怖かった。
二ヶ月以上、私は「応募する」を押せなかった
夜。
ベッドへ入り、スマートフォンを開く。
「看護師 病院以外」
「看護師 夜勤なし」
「看護師 企業」
「看護師 違う働き方」
いろいろ検索した。
求人を見る。
保存する。
また見る。
閉じる。
翌日も見る。
また閉じる。
二ヶ月以上、そんなことを繰り返した。
「このまま病棟に残ったほうが安全なのかな」
何度も思った。
8年間やってきた場所だ。
仕事も分かる。
人間関係も分かる。
給与も分かる。
夜勤はつらい。
忙しい。
それでも、
「知っている苦しさ」には、不思議な安心感があった。
外へ出る怖さより、このまま耐えるほうが簡単なのかもしれない。
そう思った夜もあった。
29人に言ってきた言葉が、自分に返ってきた
そんなある日。
スマートフォンに、以前病棟を辞めた人からメッセージが届いた。
新しい職場での近況だった。
「まだ大変なこともあるよ。でも、自分で選んだ場所だから頑張れてる」
その文章を読んだ瞬間。
これまで見送ってきた人たちの顔が次々に浮かんだ。
私は、みんなに言ってきた。
「残るのも一つの選択ですよ」
「辞めるのも一つの選択ですよ」
「自分がどうしたいかを考えていいんじゃないですか」
なのに、自分だけ例外にしていた。
私はスマートフォンを置いた。
そして思った。
「今度は、私が選ぶ番なんだ」
私は「病院が嫌だから」白衣を脱ぐのではない
そのとき、ようやく自分の気持ちが分かった。
私は病院が嫌いなのではない。
急性期で過ごした8年間を否定したいわけでもない。
むしろ、たくさんのことを教えてもらった。
看護師としての基礎。
命を預かる責任。
患者さんの小さな変化を見ること。
チームで働くこと。
怖くても動かなければならない瞬間があること。
そして、人の話を聞くこと。
全部、この病棟で学んだ。
だから、
8年間を捨てて外へ出るのではない。
8年間を持ったまま、違う世界を見てみたい。
そう思えるようになった。
私はようやく、自分の未来へ一歩を踏み出した。
そして私は、30人目になった
退職することを伝えた日。
手が震えた。
後輩に話した日。
泣きそうになった。
最後の夜勤。
いつものナースステーションを見渡した。
モニター。
電話。
ナースコール。
電子カルテ。
ワゴン。
何百回、何千回と見てきた景色。
「これで最後なんだ」
と思った。
寂しかった。
不思議だった。
辞めたかったはずなのに、いざ離れるとなると胸がいっぱいになった。
最終日。
ロッカー室で白衣を脱いだ。
きれいに畳んだ。
そして、しばらく眺めた。
29人を見送ってきた私が、
30人目として、この病棟を出る。
私はトートバッグを肩にかけた。
その日、バッグの中に白衣はなかった。
今年の冬。白衣の入っていないバッグで丸の内を歩く
そして今年の冬。
病棟を離れて、しばらく経った。
私は丸の内仲通りを歩いていた。
去年と同じ冬。
でも、去年とは少し違って見えた。
葉を落とした街路樹。
澄んだ冬空。
冷たいビル風。
厚手のコートで歩く人たち。
ガラス張りのオフィス。
東京駅へ向かう人。
カフェで仕事をする人。
打ち合わせへ向かう人。
みんな、それぞれの場所で働いている。
私は白衣の入っていないトートバッグの持ち手を握った。
少し軽かった。
そして、不思議なくらい心も軽かった。
丸の内のカフェで、久しぶりの仲間と会った
その日の午後。
私は丸の内仲通りにあるカフェで、以前一緒に働いていた仲間と待ち合わせをしていた。
冬のオープンテラスにはヒーターが置かれ、ブランケットを膝にかけた人たちが温かい飲み物を手にしていた。
通りには冬のイルミネーションが灯り始めている。
私は温かいカフェラテのカップを両手で包んだ。
「あんこ、今どう?」
目の前の元同僚が聞いた。
「どうって?」
「病棟辞めて。少しは呼吸しやすくなった?」
私は少し考えた。
「うん。でもね……」
笑った。
「病院を辞めたら、全部楽になると思ってたわけじゃないけど、本当に全部手探り」
「やっぱり?」
「やっぱり」
二人で笑った。
病院の外は「自由な楽園」ではなかった
病院を離れてみると、知らないことばかりだった。
病棟では8年目だった。
でも、一歩外へ出れば新人のようなものだった。
パソコンの使い方一つでも知らないことがある。
仕事の進め方も違う。
人との関わり方も違う。
病院では当たり前だった言葉が通じないこともある。
自分で予定を組み立てなければならない。
これからどんな働き方を選ぶのかも、自分で考えなければならない。
「自由って、楽って意味じゃないんだな」
と思った。
病院には病院の大変さがある。
病院の外には、外の大変さがある。
どこへ行っても悩みはある。
でも、一つだけ違った。
「自分で選んだ」という感覚が、私を支えていた
「大変じゃない?」
元同僚が聞いた。
「大変」
私は即答した。
「失敗もするし、自分に向いてるのかなって思う日もある」
「後悔してる?」
私は少し考えた。
そして首を横に振った。
「今のところは、してないかな」
「どうして?」
温かいカフェラテを一口飲んだ。
「自分で決めたからだと思う」
29人の悩みを聞いてきた。
29人が迷う姿を見てきた。
29人が新しい場所へ進む姿を見てきた。
そして最後に、私自身も迷った。
「大変なことはある。でも、自分でたくさん悩んで、迷って、周りの目も気にして、それでも最後は、自分が大切にしたい生き方を考えて選んだ道だから」
私は笑った。
「劇的に人生が変わったわけじゃない。でも、病棟にいた頃より、少し呼吸がしやすくなった」
元同僚は静かに頷いた。
「そっか」
そして笑った。
「あんこが自分で考えて、選んだんだもんね」
その言葉を聞いた瞬間。
私は思わず笑ってしまった。
「それ、私がみんなに言ってたやつじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
二人で笑った。
29人の物語の最後に、私自身の物語が始まった
カフェを出る頃には、丸の内仲通りのイルミネーションが冬の街を柔らかく照らしていた。
冷たい風が頬をかすめる。
私はコートのポケットに手を入れた。
去年の冬。
私はまだ白衣を着ていた。
29人の背中を見送りながら、
「私はここに残る人」
だと思っていた。
今年の冬。
白衣は着ていない。
でも、不思議だった。
看護師だった8年間が消えたとは思わなかった。
患者さんの声を聞いてきたこと。
後輩の悩みを聞いてきたこと。
急変のときに必死に動いたこと。
夜勤明けの朝焼け。
「ありがとう」
と言ってもらえたこと。
悔しくて泣いたこと。
全部、私の中に残っている。
白衣を脱いでも、
8年間は脱げなかった。
それでいいと思った。
私は看護師として生きてきた時間を捨てたのではない。
その経験を持ったまま、病院の外へ一歩出ただけなのだ。
病院の外にも、看護師の人生は続いている
クリニックで働く人。
訪問看護へ進む人。
介護施設で働く人。
健診に関わる人。
企業で経験を生かす人。
派遣という働き方を選ぶ人。
そして、病院に残る人。
どれか一つだけが正解なのではない。
大切なのは、
「自分は、どう働きたいのか」
を考えることなのかもしれない。
29人を見送って、ようやく分かった。
私は30人目。
でも、これは終わりではなかった。
むしろ、
ここからが、私自身のアナザーストーリーの始まりだった。
東京駅の赤レンガ駅舎が、冬の夜空の下で柔らかく照らされている。
私は一度立ち止まり、その景色を見上げた。
そして、白衣の入っていない少し軽いバッグを肩にかけ直した。
「さて、これからどうしようかな」
まだ答えはない。
でも、それでいい。
私は笑って、冬の丸の内を歩き出した。
💙あんこからのあいさつ💙
今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?
これまで29人の看護師たちが、それぞれの悩みを抱えながら、自分なりの働き方を探してきました。
そして30人目は、私、あんこです。
病院に残ること。
新しい職場へ進むこと。
働き方を変えること。
少し休んでから考えること。
どれか一つだけが正解ではありません。
今の職場で迷っているなら、まずは、
「私は本当は、どんな働き方をしたいんだろう」
と考えてみてください。
すぐに答えが出なくても大丈夫。
あなたが自分で悩み、自分で考え、自分で選んだ一歩なら、その先にはきっと、今までとは違う景色があります。
あなたの未来を守る「お守り」です。

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