岡田 恵美・13年目(訪問看護ステーション)
去年の秋。
広尾の街には、少し冷たくなった乾いた空気が漂っていた。
有栖川宮記念公園の木々は黄色や赤に色づき始め、秋風が吹くたび、落ち葉が歩道をカサカサと転がっていく。
大使館や洗練された建物が並ぶ街を、私は白衣の入ったトートバッグを抱えながら歩いていた。
看護師として13年目。
病棟では経験を重ねた看護師として、リーダー業務や後輩の支援、医師との調整など、さまざまな場面で頼られることが増えていた。
それでも、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、胃の奥がキリキリと痛むような緊張感だけは変わらなかった。
ロッカー室の鏡の前でナース服の襟を整え、深く息を吐く。
それが、いつの間にか私の毎朝の習慣になっていた。
医師の怒号に、13年間積み上げた自信が揺らいでいった
私の心をすり減らしていたのは、急性期病棟の夜勤や残業だけではなかった。
一番苦しかったのは、一部の医師との関係だった。
もちろん、すべての医師がそうだったわけではない。
患者さんのために看護師の意見へ耳を傾け、一緒に考えてくれる医師もたくさんいた。
でも、一部には、忙しさや苛立ちをそのまま看護師へぶつけるような人もいた。
ある日。
患者さんの状態変化について確認したときだった。
「先生、この患者さん、さっきから血圧が下がっていて、呼吸状態も少し変わっています」
私が状況を伝えると、医師は苛立った表情を見せた。
「今忙しいんだよ。必要なことだけ言って」
「はい。ただ、先ほどと状態が違うので、一度診ていただいたほうが――」
「だから今行けないって言ってるだろ!」
ナースステーションに響く大きな声。
周囲が一瞬静かになった。
私は、
「分かりました」
と答えるしかなかった。
もちろん、医師にも忙しい事情がある。
判断に必要な情報を簡潔に伝えるのも看護師の役割だ。
それでも、人前で怒鳴られるたびに、自分自身まで否定されたような気持ちになった。
「私のアセスメントには意味がないの?」積み重なった虚しさ
13年間、私は患者さんを観察してきた。
顔色。
呼吸。
血圧。
脈拍。
尿量。
表情。
会話。
「何となくいつもと違う」
そんな小さな違和感を見逃さないようにしてきた。
急変を何度も経験したからこそ、
「この変化は報告したほうがいい」
と感じることもある。
でも、その意見を伝えることさえ怖くなっていた。
「また怒られるかもしれない」
「こんなことで呼ぶなと言われるかもしれない」
そんなことを考えている自分に気づいたとき、ゾッとした。
私は、医師の機嫌を読むために看護師になったわけではない。
患者さんの状態を見て、考え、必要なことを伝える。
そのために13年間経験を積んできたはずだった。
秋の夜勤明け。
病院を出ると、有栖川宮記念公園の木々から色づいた葉が落ちていた。
私は、その葉を見ながら思った。
「私、このままここで働き続けたいのかな」
「13年目で辞めていい?」私を縛った後輩への責任感
でも、すぐに転職できたわけではなかった。
一番大きかったのは、13年目という立場だった。
新人のフォロー。
若手からの相談。
プリセプターを担当するスタッフへの助言。
リーダー業務。
医師や多職種との調整。
自分にできることが増えた分、周囲から頼られる場面も増えていた。
「私が辞めたら、後輩たちはどうなるんだろう」
そう考えた。
誰かの夜勤が増えるかもしれない。
残ったスタッフの負担が増えるかもしれない。
それに、
「13年目なのに逃げた」
「医師との関係くらいで辞めるの?」
そんなふうに思われることも怖かった。
同じ病棟には、私より5年後輩の8年目ナース、あんこがいた。
ある日の休憩時間。
「恵美さん、最近大丈夫ですか?」
あんこが声をかけてきた。
「何が?」
「先生に怒鳴られたあと、前よりずっと引きずってる気がして」
私は少し笑った。
「見てたんだ」
「見てますよ。私も同じ病棟にいますから」
私は何も答えなかった。
すると、あんこはそれ以上聞かなかった。
ただ、
「恵美さん、無理しすぎないでくださいね」
と言った。
その一言が、思っていた以上に胸に残った。
「病院の外で13年間の経験は通用する?」訪問看護への怖さ
もう一つ、私を迷わせたのがキャリアだった。
私は一つの急性期病院で13年間働いてきた。
その環境では経験がある。
でも、外へ出たらどうなのだろう。
特に訪問看護は、病棟とはまったく違って見えた。
利用者さんの自宅を訪問する。
その場に医師がいるわけではない。
限られた時間の中で状態を観察し、
「何が起きているのか」
「今、何が必要なのか」
を考える。
必要に応じて主治医やステーションへ報告・相談し、多職種とも連携する。
「私にできるのかな」
怖かった。
夜、ベッドに入ってスマートフォンを開く。
訪問看護。
一般クリニック。
健診センター。
美容クリニック。
院内異動。
いろいろな選択肢を見た。
その中で、広尾周辺を訪問エリアとする訪問看護ステーションの求人が気になった。
でも、
「応募する」
というボタンが押せない。
指を止めたまま、画面を閉じる。
そんな日々が二ヶ月以上続いた。
私が求めていたのは「医師から離れること」ではなかった
迷い続けるうちに、一つのことに気づいた。
私は、
「医師と働きたくない」
わけではなかった。
医師と看護師は役割が違う。
患者さんを支えるためには、連携が必要だ。
訪問看護へ行ったとしても、主治医との連携は欠かせない。
私が嫌だったのは、医師という存在ではない。
「自分の観察や判断を伝えることすら怖くなる関係」
だったのだ。
私は、自分のアセスメントをきちんと言葉にしたい。
そして、必要なときには医師やほかの専門職へ相談しながら、その人に必要な看護を考えたい。
利用者さんの生活そのものを見ながら、
「この人に今、何が必要なんだろう」
と考える看護がしたい。
その思いが、自分の中ではっきりした。
私はようやく、訪問看護ステーションの「応募する」を押した。
今年の秋。転職から3ヶ月が経った私
そして今年の秋。
訪問看護ステーションへ転職して三ヶ月が経った頃。
私は、以前の病棟で一緒に働いていた8年目ナースのあんこと、広尾の路地裏にあるカフェで向かい合っていた。
周囲の木々は黄色や赤に色づき、秋風が吹くたび、テラス席のそばを落ち葉が舞っている。
午後の日差しは柔らかく、温かい飲み物がちょうど心地よく感じられる季節になっていた。
「恵美さん、なんだか表情がすごく柔らかくなりましたね」
あんこが、温かいカフェラテのカップを両手で包みながら微笑んだ。
「そう?」
「はい。病棟にいた頃、いつも何かに身構えてる感じだったから」
私は少し笑った。
「でもね、今も大変だよ」
「訪問看護?」
「うん。病棟とは全然違う」
訪問看護は「一人ですべて判断する仕事」ではなかった
訪問看護での仕事は、決して楽ではなかった。
一人で利用者さんの自宅を訪問することも多い。
玄関を開けた瞬間から、観察は始まる。
表情。
呼吸。
声。
室温。
食事。
薬。
排泄。
生活環境。
家族の様子。
病院のようにモニターが並んでいるわけではない。
だからこそ、自分の目と耳で得た情報を整理する必要がある。
でも、実際に働いて分かったことがある。
「一人で訪問すること」と、
「一人ですべてを決めること」は違う。
迷ったときにはステーションへ連絡する。
先輩看護師や管理者へ相談する。
必要があれば主治医へ報告する。
ケアマネジャーや薬剤師、リハビリ職などと情報を共有することもある。
訪問先では一人でも、看護そのものは一人ではない。
そのことが分かってから、少しずつ怖さが減っていった。
がん終末期の利用者さんを前に、判断に迷った日
「この前ね、すごく迷ったことがあったの」
私はあんこに話した。
がんの終末期にある利用者さんだった。
いつもより表情が険しい。
話す言葉も少ない。
私は、
「痛みが強くなっているのかもしれない」
と考えた。
でも、痛みだけなのか。
ほかに状態変化はないのか。
薬はどう使われているのか。
私は利用者さんの様子を確認し、ご家族からも話を聞いた。
そのうえでステーションへ相談し、必要な情報を整理して主治医へ報告した。
その後、主治医の判断のもとで対応方針が調整された。
「病棟にいた頃だったら、すぐ近くに誰かいたでしょう?」
「そうですね」
「訪問先では、最初に気づいて情報を集めるのは自分だから、やっぱり怖いよ」
私は笑った。
「13年目なのに、帰り道で『あれでよかったのかな』って何度も考えた」
あんこが言った。
「13年目でも迷うんですね」
「迷うよ」
私は即答した。
「むしろ、迷わなくなるほうが怖いかもしれない」
「アセスメントの主役」は、何でも一人で決めることではなかった
訪問看護へ来て、私は「自分で考える」という言葉の意味を少し違って捉えるようになった。
自分で全部決めることではない。
利用者さんを観察する。
変化を捉える。
情報を整理する。
自分なりの考えを持つ。
そして、
「これは相談したほうがいい」
「主治医へ報告しよう」
「ほかの職種にも共有しよう」
と判断する。
それも、アセスメントの一部なのだ。
「病棟にいた頃は、報告する前に『また怒られるかな』って考えてた」
私は言った。
「今は、『この情報を誰にどう伝えれば、この人のためになるんだろう』って考えるようになった」
あんこが静かに頷いた。
「それって、恵美さんがやりたかった看護なんじゃないですか?」
その言葉に、私は少し驚いた。
そして笑った。
「そうかもしれない」
13年間の急性期経験は、在宅でこそ生きる場面もあった
転職する前は、
「病院を離れたら、13年間の経験が無駄になる」
と思っていた。
でも、実際は違った。
呼吸のわずかな変化。
顔色。
意識。
食事量。
排泄。
浮腫。
痛み。
「いつもと何か違う」
という感覚。
急性期で何度も患者さんを見てきた経験が、訪問先での観察に生きていた。
急変対応の経験も、
「この状態は少し様子を見てよいのか」
「早めに相談すべきなのか」
を考える材料になった。
もちろん、在宅看護には在宅看護の知識が必要だ。
13年目だから、すぐに何でもできるわけではない。
むしろ、今まで知らなかったことの多さに驚く毎日だ。
それでも、
「13年間を捨てたわけじゃなかった」
と思えるようになった。
13年間の経験を持ったまま、新しい看護を学び始めただけだった。
「医師の機嫌」ではなく「利用者さんの状態」を見る私へ
「転職活動中、本当に怖かった」
私は温かいカフェラテを一口飲んだ。
「13年目で環境を変えるなんて、逃げるみたいな気がしてたから」
あんこは黙って聞いていた。
「でも今は、少し違うかな」
もちろん、訪問看護にも人間関係はある。
主治医との連携が難しいことだってある。
利用者さんや家族との関係に悩む日もある。
天候が悪い日の移動は大変だ。
予定どおりに仕事が進まない日もある。
それでも、
「誰かの機嫌を損ねないため」
ではなく、
「利用者さんに今何が必要なのか」
を中心に考えられる時間が増えた。
「劇的に人生が変わったわけじゃないし、今でも自分の判断に悩む。でも、前より呼吸がしやすくなった」
私は言った。
「自分で考えて、自分で選んだ場所だから、失敗したときも『次はどうしよう』って考えられるようになった」
あんこが、ふわりと微笑んだ。
「恵美さんが、自分でたくさん考えて選んだ道ですもんね」
その一言を聞いた瞬間、胸の奥に残っていた最後のトゲが、すっと軽くなった気がした。
13年目。私はもう一度、自分のアセスメントを信じてみる
カフェを出ると、広尾の街は秋の夕暮れに包まれていた。
有栖川宮記念公園の木々は黄色や赤に染まり、乾いた風が落ち葉を舞い上げている。
去年の秋。
私は同じ広尾の街を歩きながら、
「私の考えていることなんて、意味がないのかな」
と思っていた。
そして今年の秋。
私はまた、この街を歩いている。
病院を離れたから、医師と関わらなくなったわけではない。
訪問看護師だから、何でも一人で決められるようになったわけでもない。
でも、変わったことがある。
患者さん――今は利用者さんを見て、
自分で考える。
必要な情報を集める。
そして、その考えを医師や仲間へ伝える。
「私はこう考えます」
その言葉を、以前より怖がらずに言えるようになった。
13年間積み上げてきたものは、誰かに認めてもらわなければ消えてしまうものではなかった。
自分の中に、ちゃんと残っていた。
少し冷たくなった秋風が、広尾の街を吹き抜けた。
私は色づいた木々を見上げながら、ゆっくり歩き出した。
明日もまた、利用者さんの家の玄関を開ける。
そこで私は、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考える。
そして必要なときには、仲間に相談する。
それが今の私の看護だった。
💙あんこからのあいさつ💙
今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?
今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。
あなたの未来を守る「お守り」です。

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