清水 美穂・12年目(一般クリニック)
前年の秋。
多摩川から吹き抜ける少し冷たい風が、川沿いに立ち並ぶマンションの間を通り抜けていく。
平日の朝の二子玉川。
保育園へ急ぐ電動自転車と、駅へ向かう通勤客が行き交っていた。
街路樹は少しずつ黄色や赤に色づき始め、乾いた風が吹くたび、歩道に落ちた葉がカサカサと音を立てる。
かつては私も、その慌ただしい朝の流れの一部だった。
子どもを保育園へ送り、そのまま急いで病院へ向かう。
看護師として12年目。
病棟では経験を重ねた看護師として、後輩から相談されることも多くなっていた。
それでも、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、胃の奥がキュッと縮むような感覚だけは変わらなかった。
白衣に着替えながら深く息を吐く。
それが、いつの間にか私の毎朝の習慣になっていた。
時短勤務なのに、時間どおりに帰れない
私の心をすり減らしていたのは、急性期病棟の夜勤や急変対応そのものではなかった。
産後、私は育児と仕事を両立するため、時短勤務を選択した。
夜勤から外れ、退勤時間も通常勤務より早く設定されていた。
けれど、12年間の病棟経験があることで、
「美穂さんならできるよね」
「これもお願いしていい?」
と任される業務は少なくなかった。
患者さんのケア。
記録。
後輩からの相談。
委員会関連の確認。
限られた時間の中で終わらせるため、勤務中は常に時計を気にしながら動いていた。
「あと30分」
「あと15分」
仕事の残り時間と、保育園のお迎え時間。
二つの時計が、いつも頭の中で同時に動いていた。
そして、時間になっても仕事が終わらなければ、
「すみません、ここまでしかできてなくて……」
と誰かにお願いしなければならない。
時短勤務という制度を利用しているのに、定刻に帰ることそのものに罪悪感を抱くようになっていた。
保育園からの一本の電話と、背後から聞こえた舌打ち
ある秋の夕方。
退勤時間が近づいた頃、スマートフォンが震えた。
保育園からだった。
「お子さんが38度5分のお熱を出しています。お迎えをお願いできますか?」
胸がドキッとした。
「分かりました。すぐ向かいます」
電話を切り、時計を見る。
まだ点滴の確認と記録が残っていた。
私は夜勤帯のスタッフに頭を下げた。
「すみません。本当に申し訳ないんだけど、残っているところをお願いしてもいいですか?」
「分かりました」
「本当にごめんなさい。お願いします」
何度も頭を下げ、ナースステーションを出ようとした、その瞬間だった。
背後から、
「チッ」
という小さな音が聞こえた。
聞き間違いだったのかもしれない。
誰に向けられたものだったのかも分からない。
それでも、当時の私には、自分に向けられたものとしか思えなかった。
振り返ることができなかった。
そのまま駐車場まで走った。
車に乗り込み、保育園へ向かう。
夕暮れの道路沿いでは、赤く色づいた街路樹が流れていく。
信号で止まった瞬間、涙が溢れた。
「子どもが熱を出したのは、私のせいじゃない」
分かっている。
でも、残されたスタッフが忙しくなることも分かっている。
「私はただ、看護師として働きながら、子どももちゃんと育てたいだけなのに」
その二つを両立しようとするたび、誰かに謝らなければならない。
それが、何より苦しかった。
「12年目なのに辞めるの?」私を縛った罪悪感
「もう限界かもしれない」
そう思っても、すぐに転職できたわけではなかった。
私を縛ったのは、12年間積み上げてきたものだった。
後輩の指導。
プリセプターのサポート。
リーダー業務。
委員会活動。
これまで病棟でさまざまな役割を担ってきた。
今は時短勤務でも、自分にできる範囲で病棟を支えたいという気持ちは変わらなかった。
だからこそ、
「ここで私が辞めたら、残った人たちの負担が増える」
と考えてしまう。
それに、
「12年目なのに家庭を理由に辞めた」
「子どもがいるから仕事を続けられなかった」
そんなふうに思われるのも怖かった。
同じ病棟には、私より4年後輩の8年目ナース、あんこがいた。
ある日の休憩中。
「美穂さん、最近ちゃんと休めてます?」
と声をかけられた。
「どうして?」
「なんか、ずっと急いでる感じがするから」
思わず苦笑した。
「時短だからね。時間との勝負なの」
「でも美穂さん、時短なのにいつも最後まで何かしてません?」
その言葉に、一瞬返事ができなかった。
自分では当たり前になっていたことを、あんこに言葉にされて初めて、
「私、ずっと無理していたのかもしれない」
と思った。
「12年間の病棟経験は無駄になる?」クリニックへ移る怖さ
もう一つ、私を迷わせたのがキャリアだった。
急性期病棟で12年間働いてきた。
患者さんの状態変化を捉えること。
急変時に優先順位を考えること。
点滴や処置。
後輩への指導。
医師や多職種との連携。
そうやって身につけてきたものがある。
「クリニックへ行ったら、この経験は無駄になるんじゃないか」
「病棟へ戻りたくなったとき、戻れなくなるんじゃないか」
そんな不安があった。
夜。
子どもを寝かしつけたあと、暗い部屋でスマートフォンを開く。
「看護師 子育て 転職」
「看護師 クリニック 子育て」
「看護師 時短勤務」
「ママ看護師 転職」
求人サイトを眺めるだけの日々が、二ヶ月以上続いた。
訪問看護。
健診センター。
一般クリニック。
美容クリニック。
気になる求人を見つけても、
「応募する」
のボタンを押せない。
指を止めたまま、画面を閉じる。
子どもの寝顔を見ながら、
「もう少し我慢したほうがいいのかな」
と考える。
そんな夜を何度も繰り返した。
私が求めていたのは「楽な職場」ではなかった
迷い続けるうちに、少しずつ自分が求めているものが見えてきた。
私は、仕事をしたくないわけではない。
看護師を辞めたいわけでもない。
むしろ、これからも看護師として働き続けたい。
でも、子どもの発熱に怯えながら働きたくない。
お迎えの時間が来るたびに、
「帰って申し訳ありません」
と謝り続ける働き方もしたくない。
私は、看護師である自分も、母親である自分も、どちらかを犠牲にしたくなかった。
「子育てをしながら働くことを、特別扱いではなく、一つの働き方として受け止めてくれる場所で働きたい」
それが、私の転職の軸になった。
そんな中で見つけたのが、二子玉川にある婦人科・小児科クリニックだった。
求人情報だけで判断せず、面接でも聞いた。
子育て中のスタッフはどのくらいいるのか。
急な休みが必要になったときはどうしているのか。
残業はどの程度あるのか。
勤務時間はどうなっているのか。
話を聞く中で、
「ここなら一度挑戦してみてもいいかもしれない」
と思えた。
その夜。
私は二ヶ月以上押せなかった「応募する」のボタンを、ようやく押した。
転職から3ヶ月。二子玉川のクリニックで働く私
そして今年の秋。
転職して三ヶ月が経った頃。
私は、以前の病棟で一緒に働いていた8年目ナースのあんこと、二子玉川の多摩川沿いにあるテラスカフェで向かい合っていた。
秋晴れの空の下、多摩川の水面が午後の日差しを受けて穏やかに輝いている。
河川敷では、子どもたちが落ち葉を踏みながら走り回っていた。
少し冷たくなった風が川面を渡り、テラス席まで吹き抜けてくる。
「美穂さん、なんだか表情が柔らかくなりましたね」
あんこが、温かいカフェラテのカップを両手で包みながら微笑んだ。
「本当?」
「はい。病棟にいた頃は、いつも時計見てたから」
私は思わず笑った。
「そうだったね。あの頃は、勤務中ずっと保育園のお迎え時間を計算してたから」
「今はどうですか?」
「今? 今も結構必死よ」
私は笑った。
「婦人科も小児科も、覚えることいっぱいあるから」
クリニックにも、クリニックならではの大変さがある
新しい職場は、決して完璧な場所ではなかった。
外来では、限られた時間の中で多くの患者さんに対応する。
診察の介助。
採血や処置。
電話対応。
子どもの予防接種や健診に関する確認。
婦人科を受診する患者さんへの配慮。
病棟とは違う知識や動き方が必要だった。
患者さんの状態によっては、緊急性を判断し、医師へ速やかに報告することもある。
先日も混雑している時間帯に、患者さんの案内の順番をうまく整理できず、先輩から、
「混んでいるときほど、一度全体を見てから動いたほうがいいよ」
とアドバイスされた。
12年目なのに。
そんな気持ちが一瞬頭をよぎった。
でも、すぐに考え直した。
「12年目だから、何でもできなければいけないわけじゃない」
新しい職場では、私も新人なのだ。
少人数の職場だからこその距離の近さもある。
人間関係に気を使う場面だってある。
クリニックへ転職したから、すべての悩みが消えたわけではなかった。
「早くお迎えに行ってあげて」その一言に救われた
「この前ね」
私はあんこに話した。
「また保育園から電話があったの」
「お子さん?」
「うん。熱が出ちゃって」
電話を切った瞬間、病棟時代の記憶が蘇った。
また謝らなければ。
また誰かに迷惑をかける。
身体が勝手に緊張した。
「すみません、保育園から連絡があって……」
そう言いかけると、先輩ナースが、
「分かった。こっちは大丈夫だから、早くお迎えに行ってあげて」
と言った。
別のスタッフも、
「明日は私たちで調整するから、今はお子さんのこと考えて」
と声をかけてくれた。
もちろん、誰かが休めば、残ったスタッフがその分を支える。
それは今の職場でも変わらない。
だから、申し訳なさが完全になくなったわけではない。
でも、子育てをしているスタッフが複数いる職場だからこそ、
「今日は私が助けてもらう。別の日には私が誰かを助ける」
という考え方が共有されていた。
「そのときね、車に乗ってから泣いちゃった」
私は笑った。
「前の病院でも泣いたの。でも、今度は全然違う涙だった」
あんこは何も言わず、静かに頷いた。
12年間の急性期経験は、母親になっても消えなかった
「転職するとき、キャリアを捨てるみたいですごく怖かった」
私は多摩川を眺めながら言った。
「12年間病棟でやってきたのに、クリニックへ行っていいのかなって」
でも、働いてみると違った。
子どもの顔色を見る。
呼吸の様子を観察する。
患者さんの訴えから緊急性を考える。
採血や処置を安全に行う。
医師へ必要な情報を簡潔に伝える。
不安そうな患者さんに声をかける。
急性期病棟で身につけてきた経験は、クリニックでも確かに生きていた。
「12年間を捨てたんじゃないんだって思えるようになった」
私は言った。
「12年間の経験を持ったまま、今の自分の生活に合う場所へ移っただけなんだって」
あんこが微笑んだ。
「美穂さんらしいです」
「そう?」
「はい。美穂さん、昔から患者さんにも後輩にもすごく気を使う人だったから」
「それ、褒めてる?」
「もちろんです」
二人で笑った。
看護師か、母親か。どちらかを選ばなくてもいい
カフェを出ると、二子玉川の街は秋の夕暮れに包まれていた。
多摩川沿いの木々は黄色や赤に染まり、夕日に照らされた落ち葉が風に乗って舞っている。
前年の秋。
保育園からの電話を受け、泣きながら車を運転していた。
「看護師を続けるなら、母親として何かを諦めなきゃいけないのかな」
そんなことまで考えていた。
そして今年の秋。
私はまた、同じ二子玉川にいる。
看護師を辞めなかった。
母親であることを諦めたわけでもない。
すべてを完璧にできるようになったわけでもない。
子どもは今でも突然熱を出す。
仕事で失敗する日もある。
誰かに助けてもらうこともある。
でも、今はそれを、
「自分だけが迷惑をかけている」
とは思わなくなった。
助けてもらう日がある。
誰かを助ける日もある。
働くということは、本当はそうやって支え合うことなのかもしれない。
少し冷たい秋風が、多摩川の方から吹いてきた。
私はその風を受けながら、保育園へ迎えに行く時間を確認した。
「そろそろ行かなきゃ」
「お迎えですか?」
「うん」
「じゃあ、美穂さん。また」
「またね、あんこ」
私は笑って手を振った。
今度は、時計を見ることが怖くなかった。
💙あんこからのあいさつ💙
今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?
今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。
あなたの未来を守る「お守り」です。

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