アナザーストーリーver.21|組織のしがらみを離れて私が見つけた、生涯現役で患者さんの回復に寄り添う新しい未来

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斉藤 由美子・15年目(回復期リハビリ病院)


前年の秋。

すっきりと晴れた朝、多摩モノレールの高架下へと続く大通りには、少しひんやりとした乾いた空気が満ちていた。

どこか開放的な雰囲気を残す立川の街並み。街路樹は黄色や赤に色づき始め、秋風が吹くたび、落ち葉が歩道をカサカサと転がっていく。

私は、すれ違う通勤客の波に逆らうように病院へ向かっていた。

肩にかけた白衣の入ったトートバッグが、いつもより重く感じられる。

看護師として15年目。

病棟では経験を重ねた看護師として、リーダー業務や後輩の支援など、さまざまな場面で頼られることが増えていた。

それでも、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、胃の奥がキュッと縮むような感覚だけは変わらなかった。

ロッカー室でナース服に袖を通し、深く息を吐く。

それが、いつの間にか私の毎朝の習慣になっていた。


「次は主任に」15年目の私に示された新しいキャリア

私の心をすり減らしていたのは、急性期病棟の忙しさや夜勤だけではなかった。

ある日、師長から声をかけられた。

「斉藤さん、来年度から主任をお願いできないかって話が出てるの」

「私が、ですか?」

「うん。現場経験も長いし、後輩からの信頼もあるでしょう。これからは主任として、病棟全体を支える立場も考えてほしいの」

本来なら、評価されたことを喜ぶべきだったのかもしれない。

15年間積み重ねてきた経験を認めてもらった結果でもある。

けれど、その言葉を聞いた瞬間、私の胸に浮かんだのは喜びではなかった。

「私は、本当に管理職になりたいんだろうか」

主任になれば、スタッフの調整や会議、病棟運営に関する業務など、これまでとは違う責任が増える。

もちろん、それも看護を支える大切な仕事だ。

管理する立場だからこそできることもある。

それでも、私が15年間で一番大切にしてきたのは、患者さんのすぐそばにいることだった。

ベッドサイドで表情を見る。

手を握る。

小さな状態変化に気づく。

退院を一緒に喜ぶ。

「私は、これからも患者さんのそばで看護をしていたい」

その気持ちが、どうしても消えなかった。


管理職を否定したいわけじゃない。ただ、私が進みたい道とは違った

主任への打診を受けてから、私は何度も考えた。

管理職になることが嫌なのだろうか。

責任を負うのが怖いだけなのだろうか。

でも、そうではなかった。

病棟を支える師長や主任を尊敬していた。

スタッフを育て、勤務を調整し、病棟全体を見ながら患者さんの安全を守る。

それは、現場とは違う形の大切な看護だと思う。

ただ、それが私自身の望む未来なのかと聞かれたら、答えは違った。

私は、役職を上げることよりも、これからも患者さんのすぐそばで看護を続けたい。

「私の15年間の経験は、管理職になるためだけに積み重ねてきたものじゃない」

ある夜勤明け。

病院を出ると、秋晴れの空の下でイチョウの葉が黄色く輝いていた。

その木を見上げながら、初めてはっきり思った。

「違う場所で、現場の看護を続ける道を探してみよう」


「私が抜けたらどうなる?」15年目だからこその罪悪感

けれど、決意したからといって、すぐに行動できたわけではなかった。

私を一番強く縛ったのは、15年間積み上げてきた人間関係だった。

新人看護師。

2年目、3年目の若手。

プリセプターを担当する中堅スタッフ。

後輩から、

「由美子さん、ちょっと相談してもいいですか?」

と声をかけられることも多かった。

ここで自分が抜けたら、誰が後輩たちを支えるのだろう。

ただでさえ忙しい病棟で、残された人たちの負担が増えるのではないか。

「15年も働いたのに、最後は自分のことだけ考えて辞めるんだ」

そんなふうに思われるのではないか。

その想像が、私を何度も立ち止まらせた。

同じ病棟には、私より7年後輩の8年目ナース、あんこがいた。

経験を重ね、後輩から頼られるようになったあんこを見ながら、

「私がいなくなっても、この病棟はちゃんと続いていくのかもしれない」

と思うこともあった。

ある日の休憩時間。

「由美子さん、最近ちょっと考え込んでません?」

あんこが聞いてきた。

「そう見える?」

「見えます」

私は笑った。

「さすが8年目。よく見てるね」

そのときは、それ以上何も話さなかった。

でも、その何気ない会話が少しだけ心を軽くしてくれた。


「15年も急性期にいた私が、今さら別の場所で通用する?」

もう一つの大きな不安は、キャリアだった。

急性期病棟で15年間。

患者さんの状態変化を見極めること。

急変時に優先順位を考えること。

医師や多職種と連携すること。

後輩を支えること。

数え切れない経験をしてきた。

だからこそ、逆に怖かった。

「私は、この病院のやり方しか知らないんじゃないか」

環境が変わったら、15年目なのに何もできない人になるのではないか。

特に気になったのが、回復期リハビリテーション病院だった。

急性期とは、患者さんとの関わり方も看護の時間軸も違う。

「今まで身につけたものが、通用しなくなるんじゃないか」

そう考えると、応募する勇気が出なかった。

転職サイトを開く。

一般クリニック。

訪問看護。

健診センター。

回復期リハビリ病院。

求人画面を眺めるだけの日々が二ヶ月以上続いた。

「応募する」

というボタンに指を置く。

でも、押せない。

そしてまた、画面を閉じる。

その繰り返しだった。


私が求めていたのは「出世しないこと」ではなく、現場で成長し続けること

迷い続けるうちに、ようやく自分の本当の気持ちが見えてきた。

私は、管理職から逃げたいわけではない。

責任を負いたくないわけでもない。

私はただ、

「患者さんのそばにいる看護師として、もっと長く成長したい」

と思っていた。

15年目だから、管理職へ進まなければならないわけではない。

現場で専門性を深める道だってある。

患者さんが、

寝た状態から座れるようになる。

車椅子へ移れるようになる。

自分の足で立てるようになる。

そして、もう一度家へ帰る。

そんな過程に、看護師として長く関わってみたい。

その思いに気づいたとき、立川にある回復期リハビリテーション病院の求人が、初めて違って見えた。

「ここで、もう一度現場の看護を学んでみたい」

そう思った夜。

私は二ヶ月以上押せなかった「応募する」のボタンを、ようやく押した。


転職から3ヶ月。回復期リハビリ病院で働く私

そして翌年の秋。

転職して三ヶ月が経った頃。

私は、以前の病棟で一緒に働いていた8年目ナースのあんこと、立川の昭和記念公園近くにあるカフェで向かい合っていた。

公園の木々は赤や黄色に色づき始めている。

穏やかな秋の日差しがテラス席まで差し込み、ときおり吹く風が落ち葉を舞い上げていた。

「由美子さん、なんだか表情がすごく柔らかくなりましたね」

あんこが、温かいカフェラテのカップを両手で包みながら笑った。

「そう?」

「はい。前はいつも何か背負ってる感じだったから」

私は思わず笑った。

「でもね、今も結構大変よ。15年目なのに知らないことばっかり」

「由美子さんでも?」

「私でも」

二人で笑った。


15年目でも「分からない」。回復期で知った新しい看護

回復期リハビリ病院での仕事は、決して楽な仕事ではなかった。

患者さんのADLの変化。

食事。

排泄。

移動。

服薬。

退院後の生活。

PT、OT、STなどのリハビリスタッフや医師、ソーシャルワーカーなどと情報を共有しながら、その人がどこまで自分らしい生活を取り戻せるのかを考えていく。

患者さんの状態が変化すれば、医療的な対応が必要になることもある。

先日も、在宅復帰を急ぎたい患者さんと、慎重に進めたいスタッフ側との間で意見が食い違った。

私は、

「患者さんの希望をもっと優先すべきでは?」

と強く主張した。

すると、リハビリスタッフから、

「希望は大事です。でも、退院後に安全に生活できるかまで一緒に考えたいんです」

と言われた。

その言葉に、私はハッとした。

15年間急性期で働いてきた。

それでも、知らない看護がまだたくさんある。

「15年目だから教える側」

ではない。

新しい環境では、私もまた学ぶ側だった。


患者さんの「できた」に立ち会える喜び

「この前ね」

私はあんこに話した。

「脳梗塞で入院してた患者さんが、ずっと一人では立てなかったの」

毎日、リハビリを続けていた。

看護師も、ベッドから車椅子への移乗や、日常生活の中でできることを少しずつ増やせるよう関わっていた。

そしてある日。

その患者さんがスタッフの見守りのもとで立ち上がった。

ほんの短い時間だった。

でも本人は、

「立てた」

と笑った。

「その顔を見た瞬間、私まで泣きそうになっちゃって」

あんこが微笑んだ。

「由美子さんらしいですね」

「そうかな」

「そうですよ」

急性期では、命を守るために目の前の変化へ素早く対応することを大切にしてきた。

回復期では、その経験を生かしながら、患者さんの生活が少しずつ変わっていく過程を見守る。

違う看護だった。

でも、どちらも自分が大切にしたい看護だった。


急性期で積み重ねた15年間は、何一つ消えていなかった

「転職する前、一番怖かったのはね」

私は色づいた木々を眺めながら言った。

「15年間積み重ねたものを全部捨てるような気がしてたこと」

でも、実際は違った。

患者さんの表情を見る。

小さな状態変化を見逃さない。

急変の可能性を考える。

必要な情報を医師や多職種へ伝える。

後輩に声をかける。

急性期で身につけてきたものは、回復期でも確かに生きていた。

「15年間を捨てたんじゃなくて、その15年間を持ったまま、新しい看護を学び始めたんだって、最近ようやく思えるようになった」

あんこは静かに頷いた。

「由美子さん、ずっと患者さんのそばにいたいって言ってましたもんね」

「覚えてた?」

「覚えてますよ」

私は少し照れながら笑った。

「劇的に人生が変わったわけじゃない。今でも失敗するし、15年目なのにって落ち込む日もある。でも、それでいいのかもしれない。何年目になっても、新しく学べるってことだから」

あんこはふわりと微笑んだ。

そして、静かに言った。

「由美子さんが、自分でたくさん考えて選んだ道ですもんね」

その一言を聞いた瞬間、胸の奥に残っていた最後の迷いが、すっと軽くなるような気がした。


15年目。私は「上」ではなく「前」へ進むことを選んだ

カフェを出ると、立川の街は秋の夕暮れに包まれていた。

昭和記念公園の木々は赤や黄色に染まり、夕日に照らされた落ち葉が風に乗って舞っている。

前年の秋。

同じ立川の街を歩きながら、

「15年目になったら、管理職へ進むしかないのかな」

と思っていた。

そして翌年の秋。

私はまた、この街を歩いている。

主任にはならなかった。

でも、看護師としての成長をやめたわけではない。

管理職という「上」へ進む道ではなく、患者さんのそばで新しい看護を学び続ける「前」への道を選んだ。

15年目だからこそ分かることがある。

15年目になっても、まだ知らないことがある。

その両方を抱えて、これからも患者さんのそばに立っていたい。

秋の少し冷たい風が頬を撫でた。

色づいた木々を見上げながら、私はゆっくりと前へ歩き出した。


💙あんこからのあいさつ💙

今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?

今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。

あなたの未来を守る「お守り」です。

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