看護師あんこ日記 : episode23
30歳、なんとなく「婚活」の文字をタップしてみた
「……婚活、かぁ」
夜勤明けの午後。
シャワーを浴びて、お気に入りの部屋着に着替えた私は、ベッドの上でスマホを眺めながら、何気なくその二文字を口にした。
ついさっきまで見ていたのは、看護師の転職サイト。
「夜勤なし」
「土日祝休み」
「日勤のみ」
そんな今までの私には遠い世界だと思っていた求人を眺めながら、
「世の中には、私の知らない働き方がいっぱいあるんだなぁ」
と、少しだけ世界が広がった気分になっていた。
その勢いだったのかもしれない。
検索画面の下に出てきた広告の中に、
「30代から始める婚活」
という文字を見つけた。
指が止まる。
「婚活……ねぇ」
30歳。
友達の結婚式は増えた。
赤ちゃんの写真も増えた。
でも、私は今すぐ結婚したいわけじゃない。
「今年中に絶対結婚!」
みたいな目標もない。
そもそも今の私は、夜勤と残業と病棟の人間関係だけで、日々のHPをほぼ使い切っている。
恋愛に全力投球できるほどの余力なんて、正直ない。
でも。
「ちょっと見るだけなら……いいよね?」
私は誰に許可を求めるでもなく、小さく呟いて、その広告をタップした。
/
婚活サイトには、病院とは全く違う世界が広がっていた
画面が切り替わる。
そこには、プロフィール写真とともに、いろいろな人たちの自己紹介が並んでいた。
会社員。
公務員。
エンジニア。
営業職。
研究職。
自営業。
趣味はキャンプ。
休日はカフェ巡り。
年に一度は海外旅行。
映画が好き。
料理が好き。
犬と暮らしています。
「へぇ……」
思わず声が出た。
普段の私の世界には、
看護師。
医師。
薬剤師。
リハビリスタッフ。
患者さん。
その家族。
くらいしか登場しない。
毎日、病院という巨大な箱の中で生活していると、それが世の中のほとんど全部みたいな感覚になってしまう。
でも、スマホの画面を少しスクロールしただけで、そこには私が普段ほとんど接点を持たない人たちの生活が並んでいた。
「土日はランニングしてます」
「平日は仕事、週末は料理をしています」
「旅行が好きなので、一緒にいろいろな場所へ行ける人と出会えたら嬉しいです」
……待って。
土日にランニング?
週末に料理?
旅行の予定を普通に立てられる?
私の頭の中のミニあんこが、
「ちょっと待って、この人たち、来月の勤務表が出る前から予定立ててるんですけどーーー!」
と大騒ぎを始めた。
婚活サイトを見ているはずなのに、なぜか私は、人様の恋愛観より先に「休日の過ごし方」に衝撃を受けていた。
職業病とは恐ろしい。
/
「結婚したい」より、「こんな暮らしもあるんだ」が先だった
正直に言うと。
画面に並ぶ男性たちを見ても、
「この人と結婚したい!」
なんて、もちろん思わない。
知らない人だし。
写真と数百文字のプロフィールしか見ていないし。
むしろ私は、婚活サイトを開いた瞬間に運命の王子様が現れるような、少女漫画脳ではない。
でも、不思議と楽しかった。
「へぇ、こういう仕事をしている人がいるんだ」
「この人、休日に陶芸してるんだ」
「この人は毎週日曜日にパンを焼くの?」
そんなプロフィールを眺めているだけで、病院とは全く違う生活をしている人たちの世界を、少しだけ覗かせてもらっているような気分になる。
そして、ふと思った。
私が今まで、
「看護師だから仕方ない」
と思って諦めてきたもの。
土曜日のランチ。
日曜日のドライブ。
仕事終わりの映画。
数カ月先の旅行。
誰かとゆっくり夕食を食べること。
そんな「普通の暮らし」が、誰かにとっては本当に普通の日常なのだ。
「私も、こういう時間を誰かと過ごしてみたいのかな」
自分に問いかける。
答えは、まだよく分からない。
でも、
「絶対いらない」
でもなかった。
そのことが、自分でも少し意外だった。
/
看護師の私ではなく、「あんこ」としてプロフィールを考えてみた
サイトを眺めていると、
「まずは無料プロフィールを作ってみませんか?」
というボタンが目に入った。
「いやいやいや、見るだけって言ったじゃん私!」
スマホに向かって一人ツッコミ。
でも、なぜかそのボタンが気になる。
登録する?
しない?
画面の前で5分くらい悩んだ。
そして結局、
「まあ、公開しなきゃいいんでしょ」
と、自分に言い訳をしてプロフィール作成画面を開いた。
年齢。
30歳。
職業。
看護師。
居住地。
趣味。
……趣味?
ここで、指が止まった。
看護師。
急性期病棟8年目。
夜勤あり。
そんな仕事の情報なら、いくらでも書ける。
でも、
「あなたはどんな人ですか?」
と聞かれると、急に答えに困った。
「私って、仕事以外だと何が好きなんだっけ?」
推しの動画を見る。
カフェに行く。
映画を見る。
美味しいものを食べる。
旅行も、本当は好き。
かわいい服だって、本当は着たい。
友達とどうでもいい話をして笑う時間も好き。
入力欄に一つずつ書いていく。
すると、画面の中に、
「看護師のあんこ」ではない「一人の女性としてのあんこ」
が、少しずつ形になっていった。
なんだか、それが妙に嬉しかった。
/
仕事以外の人生にも、まだ知らない選択肢がある
プロフィールは最後まで作った。
でも、その日は公開しなかった。
写真を載せる勇気もなかったし、誰かとすぐにメッセージを始める気持ちにもならなかった。
スマホをベッドの横に置き、
「今日はここまででいいや」
と、ごろんと仰向けになる。
結婚するかどうか。
恋愛するかどうか。
いつか家庭を持ちたいのか。
まだ、答えなんて出さなくていい。
ただ、今日分かったことが一つある。
私はこれまで、
「仕事をどうするか」
ばかり考えていた。
でも、人生には仕事以外にも、まだまだ知らない選択肢がある。
誰かと出会うこと。
新しい趣味を始めること。
行ったことのない場所へ行くこと。
一人で過ごす人生だってもちろんいいし、いつか誰かと一緒に暮らす人生だってあるかもしれない。
大切なのは、
「今までこうだったから、これからもこう」
と決めつけないことなのかもしれない。
/
30歳、恋愛も人生も「ちょっと覗いてみる」くらいでいい
「婚活サイトを開いたからって、明日結婚するわけじゃないもんね」
私は冷蔵庫からお気に入りのカフェラテを取り出して、ストローを刺した。
転職サイトを見たときもそうだった。
最初は、
「転職する!」
と決めたわけじゃない。
ただ、
「他にはどんな世界があるんだろう」
と覗いてみただけ。
でも、その小さなクリックで、自分の世界は少し広がった。
今日も同じだ。
今すぐ結婚するつもりなんてない。
婚活を本格的に始めるかどうかも分からない。
でも、
「こんな世界もあるんだ」
と知るだけでいい。
病院と家を往復するだけだった私の30代に、仕事以外の新しい風が少しだけ吹き込んできた気がした。
「まあ、そのうち気が向いたら写真くらい載せてみようかな」
そう呟いて、私はスマホの婚活サイトをそっとブックマークした。
転職サイトのブックマークの、すぐ隣に。
仕事も。
恋愛も。
これからの人生も。
急いで答えを出さなくていい。
でも、扉くらいは開けてみよう。
30歳。
これまで知らなかった世界を、少しずつ覗いてみる。
それだけでも、私の人生は昨日よりちょっと面白くなりそうだった。
(第24話へ続く)
💙あんこからのひとこと💙
episode23を覗いていただき、ありがとうございます!
30歳になって、転職サイトの次にまさかの婚活サイトまで覗いてしまいました。
とはいえ、今すぐ結婚したいわけでなく、自分の知らない世界をちょっと見てみたかったって話でした。すごく新鮮でした。
皆さんは30歳前後で、「今までと違う世界をちょっと覗いてみた」経験ってありますか?
あったらぜひ、コメントで教えてくださいね🩵
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