加藤 舞・6年目(療養型病院)
夏の朝、本郷の細い路地に佇む古い木造建築の間から、湿り気を帯びた風が吹き抜けていく。東京大学の赤門へと続く大通りでは、街路樹の濃い緑が朝の日差しを受けて輝き、行き交う人々はすでに強くなり始めた日差しを避けるように足早に歩いている。私もまた、その流れに急かされるように病院の裏門へと急いでいた。看護師として6年目を迎え、病棟の完全な「中堅」として現場を回す立場になっても、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、あの胸がキュッと締め付けられるような重圧感だけは変わらない。ロッカー室の姿見の前でナース服の襟を整えながら、深く、大きく息を吐き出すのが、ここ数年の私の消えないルーティンになっていた。
看護師6年目。委員会とリーダー業務に追われる毎日
私の心を限界まで削っていたのは、急性期病棟特有の夜勤の負担や人間関係のギスギス感そのものではなかった。それは、6年目というキャリアだからこそ当然のように押し付けられる、委員会活動の膨大な書類仕事と、リーダー業務の重圧だった。
「加藤さん、今月のリスクマネジメント委員会の報告書、まだ出てないよ。あと今日のリーダー、指示受けの漏れがないようにしっかり全体の動き見ててね」
師長からの鋭い声がナースステーションに響く。日勤の業務が始まれば、医師からの指示受けや他部署との調整、鳴り止まないナースコールに追われ、一息つく暇もない。さらに通常業務が終わってタイムカードを切ったあと、私の本当の「戦い」が始まる。ナースステーションの片隅でパソコンの画面と睨み合い、夜遅くまで委員会の資料作成や事例分析の書類仕事に追われる毎日。もちろん、これらはすべて「中堅としての役割」という名目のもと、一円の残業代も出ないノーギャラ作業だ。
「私は書類を書くために看護師になったんだっけ……」
ある夜勤明け、受け持ち患者さんのケアをする時間がほとんどないまま、ひたすらパソコンに向かって文字を打ち続けている自分に気づいたとき、猛烈な虚しさが込み上げてきた。目の前にいる患者さんの話をじっくり聞くこともできず、ただペーパーワークを裁くロボットのようになっている現実。組織のために自分をすり減らす毎日に、私の心はいつしか強烈な拒絶反応を起こしていた。
「私が辞めたら病棟が回らない」中堅の私を縛った罪悪感
しかし、いざ「この環境を変えよう」と決意してからの数ヶ月間は、暗い霧のなかで立ち往生するような葛藤の連続だった。
何よりも私を縛り付けたのは、6年目という中堅特有の強烈な罪悪感だった。病棟の主軸として夜勤を回し、新人看護師や2年目の後輩たちをプリセプターと一緒に支える要のポジションに自分がいる。このタイミングで自分が抜ければ、ただでさえ人手不足の現場がさらに混乱し、同僚たちに多大な迷惑をかけることは火を見るより明らかだった。先輩たちから「無責任だ」「中堅の自覚がない」と冷たい目を向けられるのではないかという周囲の目が怖くて、日々の勤務中はいつもビクビクしていた。
「急性期を離れて大丈夫?」看護師としてのキャリアへの不安
それに、「急性期の最前線から退く」ことへの不安も私の足をすくませた。病棟経験がまだ6年足らずの自分が、手技の少ない慢性期や療養型の環境に移ってしまったら、看護師としての自分の技術や価値が完全に錆びついてしまうのではないかという恐怖があった。結局、夜ベッドに入ってから、スマートフォンで看護師転職サイトの求人画面をただスクロールして眺めるだけの日々が二ヶ月以上も続いた。気になる条件を見つけても、画面の「応募ボタン」がどうしても押せない。指先が画面の上で静止したまま、ため息とともにアプリを閉じる夜が何度も繰り返された。
迷いは選択肢の多さによってさらに深まっていった。規則正しい一般クリニックや美容クリニックにするべきか、それとも夜勤のない訪問看護に挑戦するべきか。時には「転職なんて大きなリスクを冒さず、今の病棟でひたすら書類仕事を効率よく裁くコツを身に付け、耐え忍ぶほうが一番傷つかないのかもしれない」と、現状維持の選択肢へ逃げたくなる瞬間も何度もあった。
私がしたかったのは「書類を書く看護」ではなく「患者さんに寄り添う看護」
それでも、私はただ「目の前の書類仕事が嫌だから」辞めるのではないと気づいた。私は、数字や報告書を並べるペーパーナースになるのではなく、一人の医療従事者として、患者さんのベッドサイドに寄り添う看護の時間を大切にしたいのだ。組織の都合で消費されるのではなく、患者さんの穏やかな療養生活を支えたい。その大切な軸に気づいたとき、私は歴史ある医療機関が立ち並ぶ落ち着いた街・文京区本郷にある、療養型病院への応募へ向けて、ようやく一歩を踏み出すことができた。
転職から3ヶ月。急性期病棟から療養型病院へ
転職から三ヶ月が経った夏の昼下がり。私は、かつての病棟の先輩であり、私の苦悩を誰よりも知ってくれていた8年目ナースのあんこ先輩と、本郷の東大正門近くにある、静かな喫茶店の片隅にいた。
窓の外では濃い緑の並木が夏の日差しを受け、セミの鳴き声が途切れることなく響いている。よく冷えた店内に流れる静かなジャズが、外の暑さを忘れさせてくれるような心地よいリズムを作っていた。
「舞ちゃん、なんだか表情がすごくすっきりしたね。病棟にいた頃の、あのいつも何かに追われているような張り詰めたオーラがすっかり抜けてる」
あんこ先輩が、冷たいアイスコーヒーのグラスを手にしながら、優しく微笑んだ。
「そうですか? でも、今の職場でも毎日患者さんの拘縮予防のポジショニングや、ご家族からの繊細なケアの要望に追われていて、必死なんですけどね」
私は少し照れくさそうに笑った。
療養型病院にも難しさはある。それでも急性期とは違う
新しく始めた療養型病棟での仕事は、決してすべてが完璧な魔法の楽園というわけではなかった。急性期のような秒単位の急変や指示受けがない代わりに、ここでは長期入院の患者さん一人ひとりのADL(日常生活動作)の細かな変化を見極める粘り強さが求められる。先日も、患者さんのわずかな皮膚の赤みを見落としそうになり、先輩ナースから厳しく注意を受け、自分の観察不足の未熟さにひどく凹んだばかりだった。寝たきりの患者さんが多いゆえの体位変換の多さや、独特のまったりとした人間関係は、急性期病棟とはまた違う種類の緊張感と難しさがあった。
けれど、その失敗や悩みは、あの病棟時代に感じていた「理不尽に書類仕事に追われ、患者の目も見られない絶望」とは、全く異なる性質のものだった。
「大変なことはありますけど、今の療養病棟は、患者さんのベッドサイドに足を運んで、その人の表情や声にじっくり耳を傾ける時間を大切にできるんです。報告書を素早く書く速さではなく、その人とどう向き合うかを評価してもらえる。誰も私の後ろに立って『書類まだ?』って詰め寄ってこない。それだけで、すごく救われています」
あんこ先輩は、私の話を遮ることなく、「うん、うん」とただ静かに頷いて聞いてくれていた。「転職して大正解だったね」と安易に太鼓判を押すわけでもなく、私の今の等身大の言葉を、そのまま温かく受け止めてくれている。
6年の急性期経験を捨てたのではなく「大切にしたい看護」を選んだ
「転職活動中、中堅としてのキャリアのことで本当に悩んで、夜通し求人サイトを見るだけで終わる日もありました。でもね、先輩。あの時、周囲の目への恐怖に怯えながらも、自分が大切にしたい働き方を考え抜いたからこそ、今の場所があるんだって思えます。劇的に人生がキラキラしたわけじゃないし、今でも自分の力不足に悩む日はあります。でも、あの頃に比べたら、すごく呼吸がしやすくなりました。自分で悩んで、自分で選んだ道だから、どんな失敗も前向きに受け止められるんです」
話し終えた私に、あんこ先輩はふわりと微笑み、静かにグラスを置いた。
「そっか。舞ちゃんが自分でたくさん考えて、その道を選び取ったんだもんね」
その短い、けれど私の歩んできた道のりのすべてを肯定してくれるような言葉に、胸の奥に残っていた最後のトゲがすっと消えていくのを感じた。喫茶店を出ると、本郷の歴史ある街並みにはまだ夏の日差しの名残が残っていた。どこからか聞こえるセミの声の中、夕方の風が汗ばんだ頬をそっと撫でていく。その風は昼間の熱を少しだけ和らげながら、私の心の中に残っていた重さまで、静かに運び去ってくれるようだった。
💙あんこからのあいさつ💙
今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?
今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。
あなたの未来を守る「お守り」です。

コメントを残す