アナザーストーリーver.5|インシデントカンファレンスの公開処刑に絶望した私が見つけた「マニュアルと安全」がくれる私の未来

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渡辺 玲奈・3年目(美容皮膚科クリニック)


初夏の朝、薄い雲に覆われた空から、今にも雨粒が落ちてきそうだった。湿り気を帯びた風が吹き抜ける病院の連絡通路を渡るとき、私の足取りはいつにも増して重かった。

窓の外では、雨を待つように街路樹の若葉が揺れている。

すれ違う同僚たちの視線が、すべて自分を責めているように感じられて、無意識に白衣の裾をぎゅっと握りしめる。

ナースステーションに入るための自動ドアが開く音が、まるで裁判所の扉が開く音のように耳の奥で不気味に響いていた。


与薬ミスをきっかけに、私の心は限界を迎えた

私の心を決定的にへし折ったのは、日々の夜勤の疲れや人間関係のギスギス感だけではなかった。

それは、ある日病棟で起きた与薬ミスだった。

新しく導入されたばかりの電子カルテの画面は見づらいという声が現場から上がっていて、私自身も確認しにくさを感じていた。

そしてその日、睡眠不足のまま日勤をこなしていた私は、確認すべき情報を見落としてしまった。

「どうしてダブルチェックのときに気づかなかったの? 渡辺さんの確認不足だよね」

翌週開かれたインシデントカンファレンス。

本来なら、なぜミスが起きたのかを振り返り、同じことを繰り返さないための方法を考える場のはずだった。

けれど、私には、自分一人が責められているようにしか感じられなかった。

ホワイトボードの前に立ち、先輩ナースや師長から次々と質問を受ける。

「もっと注意できなかったの?」

「ダブルチェックしたんだよね?」

私が電子カルテの表示について感じていた確認のしづらさを話しても、

「それでも最後に確認するのは看護師だから」

という言葉で話は終わってしまった。

もちろん、確認を怠った自分にも責任はある。

それは分かっていた。

でも、

「なぜ見落としが起きたのか」

「同じミスをほかの人が起こさないために、何を変えられるのか」

という話には、ほとんどならなかった。

その空気のなかで立ち尽くしていたとき、私の中で何かが音を立てて崩れていった。

「ここで働き続けていたら、また同じようなことが起きるんじゃないだろうか」

その恐怖が、私の胸から離れなくなった。


「ミスから逃げた」と思われるのが怖かった

しかし、そこから別の道を模索し始めてからの日々も、暗い迷路のなかで立ち往生するような時間だった。

何より私を苦しめたのは、強烈な罪悪感だった。

まだ3年目。

一人のスタッフとして夜勤を任され、後輩の相談に乗ることも少しずつ増えてきた時期だった。

このタイミングで自分が辞めれば、残された同僚たちに負担をかけてしまうのではないか。

それ以上に怖かったのは、

「ミスをしたから逃げたんだ」

と思われることだった。

周囲から「責任感がない」と思われるのではないかという恐れが頭を離れず、勤務中はいつも誰かの視線を気にしていた。

そんな私の様子を気にかけてくれていたのが、同じ病棟で働く5年先輩の、8年目ナースのあんこ先輩だった。

「玲奈ちゃん、最近ちゃんと眠れてる?」

そう声をかけてもらっても、

「大丈夫です」

と笑って答えることしかできなかった。

本当は、全然大丈夫ではなかった。


「病棟経験3年で転職していい?」消えないキャリアへの不安

さらに、急性期病棟を3年目で離れることへの不安も、私の足を止めていた。

ここで最前線の医療から離れたら、これまで身につけてきた看護技術が衰れてしまうのではないか。

美容医療の世界へ進んだあと、もう一度病棟で働きたいと思っても、戻るのが難しくなるのではないか。

そんな恐怖が重い足枷になっていた。

結局、夜ベッドに入ってからスマートフォンで看護師転職サイトを開き、求人画面をただスクロールして眺めるだけの日々が二ヶ月以上続いた。

魅力的な求人を見つけても、「応募ボタン」がどうしても押せない。

指先が画面の上で止まり、結局ため息とともにアプリを閉じる。

そんな夜を何度も繰り返した。

選択肢の多さにも迷った。

夜勤のない一般クリニックか。

訪問看護か。

それとも、以前から少し興味のあった美容医療の世界か。

時には、

「転職なんて大きなリスクを冒さず、今の病棟でもう少し頑張って、二度とミスをしないように気をつけて働くほうがいいのかもしれない」

と、現状維持の道へ戻りたくなる瞬間も何度もあった。


「逃げたい」のではない。安心して看護ができる場所で働きたい

それでも、私はただ「今の職場が嫌だから」辞めるのではないと気づいた。

私が求めていたのは、ミスを起こした個人だけを責めるのではなく、

「なぜ起きたのか」

「どうすれば次に防げるのか」

を組織として考えられる環境だった。

医療に100%の安全なんてない。

だからこそ、個人の注意力だけに頼るのではなく、マニュアルやダブルチェック、教育、システムなど、いくつもの仕組みを重ねながら安全を高めていく職場で働きたい。

その大切な軸に気づいたとき、私の目に留まったのが、新宿にある大手美容皮膚科クリニックの求人だった。

研修制度や施術ごとの手順が細かく定められ、安全管理の仕組みについても説明されている。

「ここなら、もう一度、看護師として前を向けるかもしれない」

そう思ったとき、私は二ヶ月以上押すことのできなかった「応募ボタン」を、ようやく押すことができた。


転職から3ヶ月。美容皮膚科で働く私

転職から三ヶ月が経った初夏の夕暮れ。

私は、かつて同じ病棟で働き、私の苦悩をずっと気にかけてくれていた8年目ナースのあんこ先輩と、新宿の高層ビル群の麓にあるテラスカフェにいた。

初夏は日が長く、夕方になっても空にはまだ明るさが残っている。

高層ビルのガラスに傾き始めた陽光が反射し、街路樹の鮮やかな若葉が風に揺れていた。

都会の喧騒さえ、今日はどこか遠くのBGMのように心地よく感じられる。

「玲奈ちゃん、なんかすごく雰囲気が変わったね。表情が柔らかくなったというか、肌の調子もすごく良さそう」

あんこ先輩が、冷たいアイスコーヒーのグラスを傾けながら、優しく微笑んだ。

「本当ですか? でも、今の職場でも毎日新しいレーザー機器の操作を覚えたり、薬の知識をアップデートしたりして、必死なんですけどね」

私は髪を耳にかけながら、少し気恥ずかしく笑った。


美容看護にも厳しさはある。それでも病棟時代とは違う

新しく始めた美容皮膚科の仕事は、決して完璧な楽園というわけではなかった。

急性期病棟ほど重症患者さんの急変対応に追われる場面は多くない一方で、医療行為である以上、安全への配慮は欠かせない。

レーザー機器の設定や施術前後の状態確認、薬剤の知識。

覚えなければならないことは想像以上に多かった。

さらに、美容医療では看護技術だけでなく、患者さんへの丁寧な説明や接遇も求められる。

先日も、施術前の説明で患者さんの不安を十分にくみ取ることができず、先輩から、

「説明する前に、もう少し玲奈さんから気持ちを聞いてみてもいいかもね」

とアドバイスを受けたばかりだった。

その日は、自分の未熟さにひどく落ち込んだ。

美容皮膚科には美容皮膚科なりの、病棟とは違う緊張感と難しさがある。

けれど、その失敗や悩みは、以前の病棟で感じていた「何か起きたとき、すべてを一人で背負わされるのではないか」という恐怖とは違っていた。

「大変なことはありますけど、今のクリニックは安全管理やマニュアルをすごく大切にしているんです」

私は少し笑った。

「何かヒヤッとすることがあったときも、『誰が悪かったのか』だけじゃなくて、『どうしたら次に防げるか』をみんなで考えるんです。もちろん自分自身の振り返りも必要です。でも、一人だけで全部を背負うんじゃない。それだけで、私はすごく救われています」

あんこ先輩は私の話を遮ることなく、

「うん、うん」

と静かに頷いて聞いてくれていた。

「転職して正解だったね」と安易に太鼓判を押すわけでもなく、私の今の等身大の言葉を、そのまま温かく受け止めてくれている。


自分で悩み、自分で選んだから前を向ける

「転職活動中、キャリアのことで本当に悩んで、夜通し求人サイトを見るだけで終わる日もありました。それに、ずっと『ミスから逃げたと思われるんじゃないか』って怖かったんです」

私はアイスコーヒーのグラスについた水滴を眺めながら、ゆっくりと言葉を続けた。

「でもね、先輩。あのとき、周囲の目を怖がりながらも、自分が大切にしたい働き方を考え抜いたからこそ、今の場所があるんだって思えます」

そして、少し笑った。

「急性期で過ごした3年間が無駄になったわけでもないんです。患者さんの状態を観察することも、確認を重ねることの大切さも、あのインシデントから学んだことも、今の仕事につながっています」

「劇的に人生がキラキラしたわけじゃないし、今でも自分の力不足に悩む日はあります。でも、あの頃に比べたら、すごく呼吸がしやすくなりました。失敗したときも、ただ自分を責めるのではなく、次にどうすればもっと安全にできるかを考えられるようになったんです」

話し終えた私に、あんこ先輩はふわりと微笑み、静かにグラスを置いた。

「そっか。玲奈ちゃんが自分でたくさん考えて、その道を選び取ったんだもんね」

その短い、けれど私がここまで歩いてきた道のりをすべて肯定してくれるような言葉に、胸の奥に残っていた最後のこだわりが、すっと消えていくのを感じた。

新宿の高層ビルの間から、初夏の夕日が差し込んでいた。

街路樹の若葉を揺らしながら、少し湿り気を含んだ穏やかな風がテラスを通り抜けていく。

まだ真夏ほど重くないその風が頬を撫でたとき、あの日からずっと胸の奥に抱えていた恐怖まで、少しずつ遠くへ運び去ってくれるような気がした。


💙あんこからのあいさつ💙

今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?

今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。

あなたの未来を守る「お守り」です。

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