中川 結菜・5年目(産業看護師)
去年の初冬。
六本木ヒルズを見上げる大通りには、冬の訪れを感じさせる冷たいビル風が吹き抜けていた。
街路樹にはまだわずかに色づいた葉が残り、風が吹くたび、乾いた落ち葉が歩道の上をカサカサと転がっていく。
ガラス張りの高層ビルの向こうには、淡い冬空。
コート姿のビジネスパーソンたちが、それぞれのオフィスへ足早に吸い込まれていく。
私は白衣の入ったトートバッグを抱えながら、そんな人たちを横目に病院へ向かっていた。
看護師として5年目。
病棟では一通りの仕事を経験し、夜勤や後輩のフォローなど、周囲から頼られる場面も増えていた。
それでも、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、胃がキュッと縮むような緊張感だけは変わらなかった。
ロッカー室の鏡の前でナース服の襟を整え、深く息を吐く。
それが、いつの間にか私の毎朝の習慣になっていた。
「今年のクリスマスも夜勤か……」勤務表を見るのが怖くなった
私の心をすり減らしていたのは、急性期病棟の忙しさや残業だけではなかった。
苦しかったのは、
自分の休日を自分で決められないこと。
特に、世間が楽しみにしている日が近づくたび、その思いは強くなった。
ゴールデンウィーク。
お盆。
三連休。
クリスマス。
年末年始。
もちろん、病院は365日動いている。
患者さんがいる以上、誰かが勤務しなければならない。
それは看護師になったときから分かっていた。
でも、5年目になり夜勤を任されることが増えてから、連休やイベントの日に勤務が重なることが多くなったように感じていた。
初冬のある日。
翌月の勤務表が発表された。
私は自分の名前を探した。
クリスマスイブ。
「夜」
大晦日。
「夜」
思わず、小さくため息が出た。
「今年もか……」
「独身だから大丈夫でしょ?」その一言が胸に残った
ある日、勤務希望について師長と話したときだった。
「中川さん、年末年始なんだけど、夜勤お願いできる?」
「できれば今年は、どこか一日は休みをいただきたいんですけど……」
師長は少し困ったような表情をした。
「子どもがいるスタッフからも希望が出ているからね。中川さんは比較的動きやすいでしょう?」
その言葉に、私は何も言えなくなった。
子育てをしているスタッフが家族との時間を大切にしたい気持ちは分かる。
誰かが勤務しなければ病棟は回らないことも分かっている。
でも、
「独身だから予定がない」
わけではない。
私にも家族がいる。
友達もいる。
会いたい人もいる。
やりたいこともある。
それでも、
「分かりました」
と答えた。
自分でも驚くほど自然に、諦めた笑顔を作っていた。
世間が楽しそうにしている夜、私は病棟にいた
年末の夜勤。
病棟の窓から外を見ると、遠くの街にはたくさんの明かりが灯っていた。
スマートフォンを開けば、友人たちの楽しそうな写真が並んでいる。
家族で食事をしている人。
旅行へ出かけている人。
久しぶりに地元へ帰っている人。
その画面を閉じた瞬間、
「私、何やってるんだろう」
と思った。
看護師の仕事が嫌いなわけではない。
患者さんから、
「今日もいてくれて安心した」
と言われれば、やっぱり嬉しい。
それでも、自分の人生まで全部仕事に合わせ続けることには、少しずつ疲れていた。
「私も一度くらい、カレンダーの赤い日を普通に楽しんでみたい」
その思いが、初めてはっきりと言葉になった。
「5年目で辞めていい?」頼られるようになったからこその罪悪感
でも、すぐに転職できたわけではなかった。
5年目。
新人とはもう呼ばれない。
後輩から質問されることも増えた。
夜勤でも、若いスタッフから相談される。
リーダー業務を任される日もある。
「ここで私が辞めたら、誰かの夜勤が増えるかもしれない」
「後輩たちの負担も増えるんじゃないか」
そう考えた。
そして、もう一つ怖かった。
「楽な仕事に逃げるの?」
「5年目なのに、もう急性期を辞めるの?」
そう思われることだった。
同じ病棟には、私より3年先輩の8年目ナース、あんこ先輩がいた。
ある日、休憩室で勤務表を見ながらため息をついていると、あんこ先輩が声をかけてきた。
「結菜ちゃん、また勤務表見てるの?」
「はい……」
「最近ずっと見てない?」
私は苦笑した。
「見るたびに、ため息出ちゃって」
あんこ先輩は少し笑った。
でも、
「若いんだから夜勤くらい頑張らなきゃ」
とは言わなかった。
ただ、
「そっか」
と頷いてくれた。
それだけなのに、少し救われた。
「産業看護師なんて私にできる?」応募ボタンを押せなかった夜
転職先を探し始めた私は、ある求人に目を止めた。
企業の健康管理室で働く看護師。
社員の健康相談。
健康診断後のフォロー。
体調不良者への対応。
健康教育。
職場の健康づくりに関わる仕事。
求人によって業務内容や必要な資格・経験は違ったが、病院とは違う形で看護師としての経験を生かせる仕事があることを知った。
勤務条件を見る。
原則、平日日勤。
土日祝日休み。
年末年始休暇。
その文字を何度も見た。
「こんな働き方もあるんだ……」
でも、応募できなかった。
「私、病院しか知らないよ?」
「パソコンだって得意じゃない」
「企業で働いた経験もない」
「5年間の急性期経験だけで通用するのかな」
夜、ベッドに入って求人を見る。
閉じる。
翌日、また見る。
また閉じる。
そんな日々が二ヶ月以上続いた。
私が欲しかったのは「夜勤のない楽な仕事」ではなかった
一般クリニックも見た。
健診センターも見た。
訪問看護も調べた。
今の病院で異動することも考えた。
迷い続けるうちに、少しずつ自分が求めているものが分かってきた。
私は、
「夜勤が嫌だから楽な仕事へ行きたい」
わけではなかった。
仕事以外の人生も大切にしたかった。
家族や友達と予定を合わせたい。
週末のイベントへ行ってみたい。
年末年始に家族と食卓を囲みたい。
朝起きて働き、夜に眠る。
そんな生活リズムを大切にしたかった。
そして、看護師として身につけた知識を捨てるのではなく、違う形で使いたかった。
病気になった人を支えるだけではなく、
働いている人が健康を崩す前に支える。
そんな看護もある。
そう考えたとき、
「産業看護の仕事に挑戦してみたい」
という気持ちが、はっきりした。
私はようやく、気になっていた企業の健康管理室の「応募する」を押した。
今年の初冬。転職から3ヶ月が経った私
そして今年の初冬。
産業看護師として働き始めて三ヶ月が経った頃。
私は、以前の病棟で一緒に働いていた8年目ナースのあんこ先輩と、六本木のカフェで向かい合っていた。
六本木ヒルズ周辺の木々には、まだ黄色や赤の葉が少し残っている。
冷たい風が吹くたび、歩道の落ち葉が舞い上がった。
街には冬物のコートを着た人が増え、夕方が近づくにつれてイルミネーションの灯りも目立ち始めていた。
「結菜ちゃん、なんだか表情が変わったね」
あんこ先輩が、温かいカフェラテのカップを持ちながら微笑んだ。
「そうですか?」
「うん。前は勤務表見るたびに、この世の終わりみたいな顔してたから」
「そんな顔してました?」
二人で笑った。
「でも、今も必死ですよ」
私は言った。
「病院とは全然違います」
企業の健康管理室には、病棟とは違う難しさがあった
産業看護師の仕事は、決して「楽なオフィスワーク」ではなかった。
まず苦労したのが、パソコンだった。
データ入力。
表計算。
資料作成。
オンライン会議。
社内システム。
病棟でも電子カルテは使っていたけれど、求められることが違う。
さらに、企業の中では、医療だけを考えていればいいわけでもなかった。
社員本人の気持ち。
健康状態。
仕事の状況。
職場環境。
会社としての制度。
そして、守るべき個人情報。
必要に応じて産業医や人事・労務担当者などと連携しながら、どこまで、誰に、何を共有するのかを慎重に考える必要がある。
先日も、社員との面談後の記録について、
「この書き方だと受け取り方が変わる可能性があるから、もう少し客観的な表現にしよう」
と指摘された。
病棟では5年目でも、企業では新人だ。
落ち込む日もあった。
病棟で身につけた5年間は、企業でも消えなかった
でも、意外なこともあった。
病棟で身につけた経験が、思っていた以上に役立ったのだ。
社員が、
「ちょっと疲れているだけです」
と言っていても、表情や声の変化が気になることがある。
「もう少し話を聞いたほうがいいかもしれない」
そう感じる。
相手の話を聞く。
必要な情報を整理する。
緊急性を考える。
必要なら適切な専門職につなぐ。
それは、病棟で患者さんを見ていたときと、どこか似ていた。
「私、急性期を辞めたら5年間が全部無駄になると思ってたんです」
私はあんこ先輩に言った。
「でも、全然そんなことなかった」
あんこ先輩が頷いた。
「場所が変わっても、結菜ちゃんが看護師として経験してきたことはなくならないもんね」
その言葉が、素直に嬉しかった。
初めて「土曜日、空いてる?」に迷わず答えられた
「一番変わったのは?」
あんこ先輩が聞いた。
私は少し考えた。
「友達から『今度の土曜日、空いてる?』って聞かれたときかな」
「うん」
「前は最初に勤務表を確認してたんです」
夜勤?
日勤?
明け?
休み?
希望休を出せる?
いつもそこからだった。
でも、今の勤務先では、基本的な勤務日が決まっている。
もちろん、会社の行事や業務の都合で例外が生じることはある。
それでも以前より、先の予定を立てやすくなった。
「この前、初めて勤務表を見ないで『空いてるよ』って返事したんです」
あんこ先輩が笑った。
「それ、結菜ちゃんにとっては結構大きいね」
「めちゃくちゃ大きかったです」
私も笑った。
「カレンダー通りに生きる」ことも、私が選んでいい
カフェを出ると、六本木の街には初冬の冷たい風が吹いていた。
街路樹に残っていた黄色い葉が一枚、目の前を舞っていく。
ビルの周辺には冬のイルミネーションが灯り始めていた。
去年の初冬。
私は勤務表を見ながら、
「今年もクリスマスも年末年始も仕事か」
とため息をついていた。
もちろん、今でも分かっている。
病院には、年末年始も患者さんがいる。
その時間を支えている看護師がいる。
かつての私も、その一人だった。
その仕事には大きな意味がある。
でも、
すべての看護師が、同じ働き方を一生続けなければならないわけではない。
今年の初冬。
私は、違う場所で看護師として働いている。
クリスマスの予定を友達と話す。
年末に家族と過ごす予定を立てる。
カレンダーを開くことが、以前ほど怖くなくなった。
劇的に人生が変わったわけではない。
新しい仕事で失敗する日もある。
「病棟のほうが向いていたのかな」
と考える日だってある。
それでも、
「この働き方を自分で選んだ」
と思える。
それが、私には大きかった。
少し先を歩いていたあんこ先輩が振り返った。
「結菜ちゃん、寒いよ。行こう」
「はい!」
私は小走りで追いついた。
初冬の六本木。
去年と同じように冷たい風が吹いている。
でも、今年はその風が少し違って感じられた。
来月のカレンダーには、友達との予定が一つ。
家族との予定が一つ。
そして、自分だけの予定も一つ。
私はようやく、
仕事の予定だけではないカレンダーを、自分の手で作り始めていた。
💙あんこからのあいさつ💙
今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?
今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。
あなたの未来を守る「お守り」です。

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