アナザーストーリーver.16|看取りの連続で心が麻痺した私が見つけた命に向き合う新しい距離感で、私らしく働く毎日へ

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木村 茜・7年目(治験コーディネーター)


澄んだ秋の朝、昭和通りを行き交う車の音が低く響いている。ビルとビルの隙間から吹き抜ける少しひんやりとした風が、白衣の入ったトートバッグを抱える私の髪を揺らした。街路樹の葉は少しずつ黄色に色づき始めている。看護師として7年目を迎え、病棟では中堅からベテランへと差し掛かる立ち位置になっても、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、あの胃がキリキリと収縮するような緊張感だけは変わらない。ロッカー室でナース服に袖を通しながら深く息を吐き出すのが、ここ数年の私の消えないルーティンになっていた。


看取りが続く毎日。悲しいはずなのに涙が出なくなった

私の心を限界まで削っていたのは、急性期病棟特有の過酷な残業や人間関係のギスギス感そのものではなかった。それは、担当患者さんの急変と看取りがあまりにも連続し、感情のキャパシティを超えてしまった結果、悲しいはずなのに涙が一切出なくなってしまったという「心の麻痺(バーンアウト)」への恐怖だった。

「木村さん、4号室の患者さん、エンゼルケアの準備お願いね。終わったらすぐ次の緊急入院のベッドコントロール入って」

先輩ナースからの業務的な指示が飛ぶ。昨日まで笑顔で言葉を交わしていた患者さんの呼吸が止まり、その冷たくなった身体に触れている最中も、私の頭は「次のベッドを開けなければ」という効率のことばかりを考えていた。涙も流さず、ただ淡々と死を受け流し、次の業務へ進むロボットのようになっていく自分。

「私、いつからこんなに冷たい人間になっちゃったんだろう……」

ある夜勤明け、鏡に映る疲れ果てた自分の無表情な顔を見つめた瞬間、猛烈な恐怖が込み上げてきた。命を救う最前線にいる誇りよりも、心が完全に死んでいくことへの絶望が勝ってしまう毎日。このまま急性期にしがみついていれば、いつか人としての温かさをすべて失ってしまうのではないかという澱のような疑問が、夜勤終わりの重い足取りのなかに、絶えず深く沈殿していった。


「7年目で逃げていい?」中堅の私を縛った罪悪感

しかし、いざ「命の現場から一歩引こう」と決意してからの数ヶ月間は、暗い霧のなかで立ち往生するような葛藤の連続だった。

何よりも私を縛り付けたのは、7年というキャリアがもたらす強烈な罪悪感だった。病棟の主軸として夜勤を回し、新人看護師の指導や後輩のプリセプターを支える要のポジションに自分がいる。このタイミングで自分が抜ければ、ただでさえ人手不足の現場がさらに混乱し、同僚たちに多大な迷惑をかけることは火を見るより明らかだった。周囲から「中堅のくせに根性がない」「プレッシャーから逃げた」と冷たい目を向けられるのが怖くて、勤務中はいつもビクビクしていた。


「医療手技から離れて大丈夫?」看護師としての価値を失う怖さ

それに、「病院以外の世界で本当に通用するのだろうか」という不安も私の足をすくませた。急性期の最前線しか経験していない自分が、医療手技のないオフィスワークに移ってしまったら、これまで培った技術が無駄になり、看護師としての自分の価値を完全に無くしてしまうのではないかという恐怖があった。結局、夜ベッドに入ってから、スマートフォンで看護師転職サイトの求人画面をただスクロールして眺めるだけの日々が二ヶ月以上も続いた。気になる条件を見つけても、画面の「応募ボタン」がどうしても押せない。指先が画面の上で静止したまま、ため息とともにアプリを閉じる夜が何度も繰り返された。

迷いはそれだけではなかった。規則正しい一般クリニックや美容クリニックにするべきか、それとも夜勤のない訪問看護か。あるいは看護師という資格から一度離れるべきなのか。複数の転職先候補の間で、私の思考は完全に迷子になっていた。時には「転職なんて大きなリスクを冒さず、今の病棟でひたすら心を麻痺させたまま耐え忍び、定年までやり過ごすほうが一番傷つかないのかもしれない」と、現状維持の選択肢に逃げたくなる瞬間も何度もあった。


私が求めていたのは「別の形で医療に貢献する働き方」だった

それでも、私はただ「看取りが辛いから」辞めるのではないと気づいた。私は、命が失われる瞬間のパニックに怯えるのではなく、医療の発展という別の形で、これまでの知識を活かしながら一人の人間にじっくりと向き合う看護がしたいのだ。自己犠牲で心を殺す働き方ではなく、自分のメンタルを健康に保ちながら、オフィスワークという形で医療に貢献したい。その大切な軸に気づいたとき、私は大手SMOの東京オフィスがあるオフィス街・日本橋の、治験コーディネーター(CRC)への応募へ向けて、ようやく一歩を踏み出すことができた。


転職から3ヶ月。急性期病棟から治験コーディネーターへ

転職から三ヶ月が経った秋の昼下がり。私は、かつての病棟の先輩であり、私の苦悩を誰よりも知ってくれていた8年目ナースのあんこ先輩と、日本橋の歴史あるビル群の合間にあるオープンカフェのテラス席にいた。

街路樹の葉は黄色や赤に色づき始め、時折吹き抜ける秋風に揺れている。洗練された街並みと、行き交うビジネスパーソンたちの足音が、心地よい都会のテンポを作っている。

「茜ちゃん、なんだか表情がすごくすっきりしたね。病棟にいた頃の、あのいつも何かに怯えているような張り詰めたオーラがすっかり抜けてる」

あんこ先輩が、温かいコーヒーのカップを手にしながら、優しく微笑んだ。

「本当ですか? でも、今の職場でも毎日膨大なデータの管理や、製薬会社と医師との板挟みの調整業務に追われていて、必死なんですけどね」

私は少し照れくさそうに笑った。


CRCにも大変さはある。それでも病棟時代とは違う

新しく始めたCRCとしての仕事は、決してすべてが完璧な魔法の楽園というわけではなかった。病棟のような急変や命の危機がない代わりに、ここではスケジュール管理の厳密さと、ビジネスマナーを含めた人間関係の構築が求められる。医療機関とは違う一般企業のスピード感や文化に対応しなければならず、先日も書類のわずかな記載不備について厳しく注意を受け、自分のオフィスワークの未熟さにひどく凹んだばかりだった。病棟とはまた違う種類の緊張感と難しさがあった。

けれど、その失敗や悩みは、あの病棟時代に感じていた「理不尽に心が壊れていく絶望」とは、全く異なる性質のものだった。

「大変なことはありますけど、今の治験の仕事は、被験者である患者さんの体調変化や不安にじっくり耳を傾ける時間を大切にできるんです。点滴を素早く繋ぐ速さではなく、的確なデータ管理と対話を評価してもらえる。誰も私の後ろに立って『次の看取りまだ?』なんて詰め寄ってこない。それだけで、すごく救われています」

あんこ先輩は、私の話を遮ることなく、「うん、うん」とただ静かに頷いて聞いてくれていた。「転職して大正解だったね」と安易に太鼓判を押すわけでもなく、私の今の等身大の言葉を、そのまま温かく受け止めてくれている。


7年の急性期経験は「別の形で医療を支える力」になった

「転職活動中、7年目での環境の変化というキャリアのことで本当に悩んで、夜通し求人サイトを見るだけで終わる日もありました。でもね、先輩。あの時、周囲の目への恐怖に怯えながらも、自分が大切にしたい働き方を考え抜いたからこそ、今の場所があるんだって思えます。劇的に人生が好転したわけじゃないし、今でも自分の力不足に悩む日はあります。でも、あの頃に比べたら、すごく呼吸がしやすくなりました。自分で悩んで、自分で選んだ道だから、どんな失敗も前向きに受け止められるんです」

話し終えた私に、あんこ先輩はふわりと微笑み、静かにカップを置いた。

「そっか。茜ちゃんが自分でたくさん考えて、その道を選び取ったんだもんね」

その短い、けれど私の歩んできた道のりのすべてを肯定してくれるような言葉に、胸の奥に残っていた最後のトゲがすっと消えていくのを感じた。日本橋のビルの谷間を抜けてきた秋風が、色づいた街路樹の葉を静かに揺らしている。その風は少しひんやりとしていたけれど、病棟へ向かっていた頃に感じた冷たさとは違い、今の私には不思議なほど心地よかった。


💙あんこからのあいさつ💙

今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?

今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。

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