看護師あんこ日記 episode15
30歳の誕生日。準夜勤明けに一人で迎えた節目
「……はぁ。ついに、なっちゃったなぁ」
深夜23時55分。
準夜勤を終えて命からがらアパートに帰り着き、メイクも落とさず床にへたり込んだ私は、液晶画面がバキバキに割れたスマホを見つめて呟いた。
あと5分。
あと5分で、私の20代が静かに幕を閉じる。
テーブルの上には、コンビニに駆け込んでなんとか調達した、プラスチック容器入りの「プレミアムロールケーキ」。
一応、ささやかなお祝いのつもりで、仏壇用の引き出しから発掘した1本の細いローソクを真ん中にぶすりと突き刺してある。
マッチで火を灯すと、狭いワンルームに小さなオレンジ色の炎が揺れた。
ピピッ。
日付が変わる。
【5月30日(土)00:00】
「……おめでとう、私。ようこそ、30代の世界へ!」
パチパチパチ、と虚しく1人で拍手をして、ふぅーっと息を吹きかける。
ローソクの煙が消えていくのと同時に、私の頭の中で、これまでの20代の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
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20代の10年間を、看護師としてがむしゃらに走り続けた
私の20代は、一言で表すなら「白衣一色」だった。
22歳で国家試験に合格し、大きな期待と、それ以上の恐怖を胸に一般病院へ就職した。
最初の数年間は、先輩ナースの鋭い視線に怯え、ドクターの早口な指示を聞き取るのに必死で、毎日泣きながら参考書を開いていた。
アラームの音に飛び起き、患者さんの命の重さに押し潰されそうになり、激務のあまり1カ月で体重が4キロ落ちたこともあった。
中堅になってからは、後輩のミスをカバーし、病棟の理不尽なシステムに耐え、コロナ禍という歴史的な荒波まで最前線で泳ぎきった。
友達と遊びに行った思い出よりも、夜勤明けのボロボロの顔で食べた牛丼の味や、ナースステーションでこっそり流した涙の数のほうが多いかもしれない。
でも、そのことに後悔は1ミリもない。
必死だったし、がむしゃらだったけれど、あの10年間があったからこそ、今の私は1人で重症患者さんの対応ができるようになったし、周囲から頼りにされる強さを身につけることができた。
20代の私、本当によく頑張った。
それは心の底から誇りに思っている。
だけど、ロールケーキをスプーンですくいながら、私の視線はカレンダーの「30」という数字に釘付けになっていた。
「じゃあ……これからの30代の10年間も、私、まったく同じ生き方をするの?」
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夜勤・残業・クレーム対応。このまま40歳になるのは嫌だ
その問いが頭に浮かんだ瞬間、背筋がヒヤリとした。
もし私が、このまま「急性期病棟のやりがい」という名のレールに乗り続けたら。
これからの30代も、夜勤で肌を荒らし、睡眠リズムをガタガタに崩しながら、夜中にアラートの音で飛び起きる生活が続く。
これからの30代も、理不尽に怒鳴るドクターの顔色をうかがい、気難しい患者さんや家族のクレーム対応の最前線に立たされ、サービス残業の「自己研鑽」に休日を潰される。
ハッと気づけば、あっという間に40歳になっているだろう。
「……それは、絶対に嫌だ」
喉の奥から、本音の言葉がポロリと溢れた。
20代の頃は、無限の体力と「成長したい」という特効薬があったから、どんな過酷な環境でも笑って乗り越えられた。
でも、30代は違う。
身体の変化もリアルに感じるし、何より、自分の「人生そのものの時間」がどれほど貴重なものなのか、もう痛いほど分かってしまっている。
仕事に命を捧げる生き方は、20代で十分にやりきった。
30代の私は、もっと人間らしく生きたい。
朝、太陽の光で目覚めて、夜は自分のベッドでちゃんと眠りたい。
土曜日には友達とおしゃれなランチをして、平日の夜には大好きなヨガのレッスンに通いたい。
看護師としてのキャリアも大切にしたい。
でも、それと同じくらい、一人の人間としての私の幸せも、欲張って生きていきたいのだ。
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30代の看護師として「自分を大切にできる働き方」を選ぶ
スプーンを置き、窓の外の静まり返った街並みを見つめる。
30歳という年齢は、ただの数字だ。
でも私にとっては、これまでの「流されるままに頑張る看護師人生」と、これからの「自分で選んで幸せになる人生」の間に引く、決定的な境界線のように思えた。
「よし、決めた」
私はスマホを手に取り、メモアプリを開いた。
そして一番上の行に、こうタイピングした。
『30代、私はもっと自分を大切にできる場所で働く!』
文字にしてみたら、胸の奥のモヤモヤが一気に晴れて、なんだかすごくワクワクしてきた。
30歳。
看護師としての経験があって、自分が何を大切にしたいのかも少しずつ分かってきた。
これからの人生を、自分の意思で選び直すには、むしろちょうどいい年齢なのかもしれない。
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30歳からでも遅くない。看護師としての人生を選び直す
カサカサになった手のひらをぎゅっと握りしめる。
私の新しい10年間のプロローグは、今この部屋から始まるんだ。
これまで身につけた看護師としての経験を捨てる必要なんてない。
ただ、その経験をどこで、どんな働き方で使うのかは、自分で決めていい。
夜勤を減らしたい。
自分の時間を大切にしたい。
患者さんともっと向き合いたい。
正当に評価されたい。
そんな希望を、全部わがままだと諦める必要もない。
残ったロールケーキを一気に口に放り込み、私は「最高の30代」をプロデュースするための第一歩として、まずはメイクを落としてフカフカのお布団に潜り込むことにした。
明日からは、これまでとは少し違う目で、自分の未来を探してみよう。
(episode16へ続く)

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