アナザーストーリーver.29|病棟のお局という嫌われ役に疲れた私が見つけた自分を犠牲にしない穏やかな看護

執筆者:

カテゴリ:

坪井 美佐子・15年目(特別養護老人ホーム)


去年の冬。

京王線の線路沿いから響くガタゴトという電車の音が、冷たい空気のなかを低く伝わっていた。

新宿の喧騒から少し離れた調布の街。

葉を落とした街路樹の枝が冬空へ伸び、北風が吹くたび、歩道に残った枯れ葉がカサカサと転がっていく。

私は白衣の入ったトートバッグを抱え、病院へ向かっていた。

看護師として15年目。

病棟では経験の長い看護師として、後輩から頼られる一方、陰では「お局」と呼ばれていることも知っていた。

それでも、毎朝ナースステーションの自動ドアを開ける瞬間の、胃がキュッと縮むような緊張感だけは何年経っても消えなかった。

ロッカー室でナース服に袖を通し、大きく息を吐く。

それが、ここ数年の私の習慣になっていた。


「厳しくすることが病棟を守ること」だと信じていた

私の心をすり減らしていたのは、急性期病棟の夜勤や急変対応だけではなかった。

一番苦しかったのは、自分自身が作り上げてしまった、

「嫌われても病棟を守るベテラン」

という役割だった。

15年目ともなれば、若いスタッフの小さなミスにも気づく。

確認不足。

記録漏れ。

報告の遅れ。

患者さんの安全に関わることであれば、

「まあいいか」

では済ませられない。

だから私は言った。

「ここ、確認した?」

「どうして報告しなかったの?」

「分からないなら、そのままにしないで聞いて」

間違ったことを言っているつもりはなかった。

でも、いつの間にか私の言葉は強くなっていた。

忙しいときには、声を荒らげてしまうこともあった。

「患者さんのためなんだから」

「私だって若い頃は厳しく教えられた」

そう自分に言い聞かせていた。


気づけば、後輩たちは私の前で本音を話さなくなっていた

ある頃から、若いスタッフの様子が変わった。

私がナースステーションへ入ると、それまで続いていた会話が止まる。

後輩が何かを相談していても、私が近づくと、

「大丈夫です」

と言って話を終わらせる。

休憩室へ入ると、どこか空気が変わる。

最初は、

「最近の若い子は難しいな」

くらいに考えていた。

でも、少しずつ分かってきた。

みんな、私を怖がっている。

その事実を認めるのは、つらかった。

「私は病棟を守ろうとしていただけなのに」

そう思う一方で、

「本当に、それだけだったのかな」

という疑問も生まれていた。


8年目のあんこを見ながら、初めて自分の姿を振り返った

同じ病棟には、私より7年後輩の8年目ナース、あんこがいた。

あんこは、私とは少し違うタイプだった。

後輩が失敗したときも、まず話を聞く。

「どうしてこうなったと思う?」

「次はどうすればいいかな」

そう問いかけながら、一緒に考えていた。

もちろん、必要なことはきちんと伝えている。

でも、声を荒らげることはほとんどない。

ある日。

新人が私のところへ報告に来た。

緊張しているのか、説明がうまくまとまらない。

私は思わず、

「結局、何が言いたいの?」

と言った。

新人の表情が固まった。

その日の夕方。

その新人があんこと話している姿を見た。

「大丈夫。順番に整理しよう」

あんこがそう言うと、新人は少しずつ話し始めた。

私は離れたところから、その光景を見ていた。

胸の奥がチクリと痛んだ。

「私だったら、あの子はもう話してくれないかもしれない」

初めて、そう思った。


「ツボイさんが怖い」その言葉から逃げられなかった

しばらくして、師長との面談があった。

「坪井さん、ちょっと話していい?」

師長は慎重に言葉を選んでいた。

「若いスタッフからね、坪井さんへ相談するのが怖いという声が出ているの」

胸の奥がズキッとした。

「私、間違ったことを言ってますか?」

思わず、そう返した。

「間違っているという話じゃないの。ただ、伝え方で萎縮してしまうスタッフがいるみたい」

私は黙った。

腹が立った。

悔しかった。

「じゃあ、誰が注意するの?」

と思った。

「優しくして事故が起きたらどうするの?」

とも思った。

でも同時に、

新人が私の前で固まったあの表情が浮かんだ。

病棟の安全を守ること。

後輩を育てること。

厳しくすること。

私は、その三つをいつの間にか全部同じものだと思い込んでいたのかもしれない。


「私はこの生き方しか知らない」自分で口にした言葉が胸に残った

冬のある夜勤明け。

私は休憩室であんこと二人になった。

何となく口から出た。

「私ね、もう15年ここにいるの」

「はい」

「気づいたら、こういう看護師になってた」

あんこは黙って聞いていた。

「若い子から怖がられて、師長からはもっと柔らかくしろって言われて。でも、今さらどう変わればいいのか分からない」

私は自嘲するように笑った。

そして、ぽつりと言った。

「私には、この生き方しかないのかもしれない」

あんこはすぐには答えなかった。

しばらくして、

「本当に、ここしかないんですかね」

と言った。

私はあんこを見た。

「看護師って、病棟以外にもいろんな働き方がありますよね」

それだけだった。

「転職したほうがいいですよ」

とも、

「ツボイ先輩は悪くないですよ」

とも言わなかった。

でも、その言葉が妙に胸に残った。

本当に、ここしかないのだろうか。


「15年目で今さら転職?」応募ボタンを押せなかった二ヶ月

その日から、私は求人を見るようになった。

一般クリニック。

健診センター。

訪問看護。

介護施設。

特別養護老人ホーム。

でも、簡単には動けなかった。

15年。

長かった。

急変対応。

夜勤。

新人指導。

リーダー業務。

医師との調整。

委員会。

さまざまな経験を積んできた。

「今さら違うところへ行って通用するの?」

という怖さがあった。

それに、

「若手に厳しくしてきたくせに、自分だけ辞めるの?」

と思われることも怖かった。

夜、求人を見る。

閉じる。

次の日も見る。

また閉じる。

そんな日々が二ヶ月以上続いた。


私が辞めたかったのは「看護師」ではなかった

迷い続けているうちに、一つだけ分かった。

私は、看護師を辞めたいわけではない。

むしろ、看護そのものは好きだった。

患者さんの手を握る。

「今日は少し顔色がいいですね」

と声をかける。

昔の話を聞く。

少し楽になった表情を見る。

私は、そういう時間が好きだった。

でも、急性期のスピードのなかで、いつの間にか余裕をなくしていた。

後輩にも、

患者さんにも、

そして自分自身にも。

私はもっと穏やかに人と関わりたかった。

「誰かを怖がらせなければ責任を果たせない」

そんな働き方から離れてみたかった。

そう思ったとき、調布にある特別養護老人ホームの求人が目に留まった。

私は何度も仕事内容を読んだ。

そしてようやく、

「応募する」

を押した。


今年の冬。転職から3ヶ月が経った私

そして今年の冬。

特養へ転職して三ヶ月が経った頃。

私は、以前の病棟で一緒に働いていた8年目ナースのあんこと、調布の深大寺近くにある木造カフェで向かい合っていた。

外には葉を落とした木々が並び、冷たい冬風が細い枝を揺らしている。

テラス席ではなく、暖房の効いた店内。

窓越しに柔らかな冬の日差しが差し込んでいた。

あんこが、温かいカフェラテのカップを持ちながら私を見た。

「ツボイ先輩、なんか変わりましたね」

「何が?」

「顔」

「失礼ね」

二人で笑った。

「でも本当に。病棟にいた頃より、すごく柔らかい顔してます」

「そう?」

私は少し照れくさくなった。

「でも、今も大変よ」

「特養?」

「うん。病棟とは全然違う」


特養は「のんびりした医療の少ない場所」ではなかった

転職する前。

私は特養について、

「急性期より穏やかな場所」

という程度のイメージしか持っていなかった。

でも、実際に働いてみると、それだけではなかった。

利用者さんの健康管理。

服薬。

褥瘡や皮膚状態の確認。

食事や水分摂取。

排泄。

感染症への対応。

医療的ケアが必要な利用者さんへの対応。

そして、急な体調変化。

病院のように医師が常にそばにいるとは限らない環境だからこそ、看護師の観察や判断、介護職との情報共有が重要になる。

「この前ね、利用者さんの水分摂取量が少し落ちてたの」

私はあんこに話した。

「私は最初、大きな変化じゃないと思った。でも介護スタッフさんが、『今日はいつもより元気がない気がします』って教えてくれて」

そこから食事量や排泄、表情などを改めて確認した。

「15年目なのにね。介護スタッフさんに気づかされたの」

「いいじゃないですか」

あんこが言った。

「うん。今は私もそう思う」


15年目で初めて「私が正しい」を手放せるようになった

病棟にいた頃の私は、

「ベテランなんだから、分かっていなければならない」

と思っていた。

後輩より知っていなければならない。

正しい判断をしなければならない。

間違いを見つけたら、すぐ指摘しなければならない。

それが15年目の責任だと思っていた。

でも、特養へ来てから少し変わった。

介護職だから分かることがある。

ケアマネジャーだから見えていることがある。

リハビリ職だから気づくことがある。

家族だから分かることもある。

そして、経験15年の私にも分からないことがある。

「教えて」

「どう思う?」

「一緒に考えてくれる?」

そう言えるようになった。

不思議だった。

「私が全部分かっていなければ」

という鎧を脱いだら、前より人と話せるようになった。


「穏やかに働く」は「何も言わない」ことではなかった

もちろん、今でも注意することはある。

安全に関わることなら、きちんと伝える。

間違っていると思ったことを、何でも笑って済ませるわけではない。

でも、

「正しいことを伝える」ことと「相手を怖がらせる」ことは同じではない。

ようやく、その違いが少し分かるようになった。

ある日、若い介護スタッフが確認不足で困っていた。

昔の私なら、

「なんで確認しなかったの?」

と最初に言っていたと思う。

でも、その日は、

「どこで分からなくなった?」

と聞いた。

話を聞いて、一緒に確認した。

最後に必要な注意点を伝えた。

「ありがとうございます」

と言われた。

たったそれだけ。

でも、胸が温かくなった。

「私、こういう関わり方もできたんだ」

と思った。


15年間の急性期経験は、特養でも消えていなかった

転職前は、

「特養へ行ったら、急性期で積み上げたものが無駄になる」

と思っていた。

でも、そんなことはなかった。

顔色。

呼吸。

脈拍。

食欲。

水分。

排泄。

意識。

「いつもと何か違う」

という小さな変化。

急性期で何度も患者さんを見てきた経験が、今の利用者さんを見る力につながっている。

急変対応の経験も、必要なときに医療機関へつなぐ判断や、周囲へ状況を伝える場面で生きている。

15年間を捨てたわけではなかった。

15年間持っていたものを、違う場所で使い始めただけだった。

「ツボイ先輩、前より話しやすくなりました」

「そういえば」

あんこが笑った。

「何?」

「今だから言いますけど、昔のツボイ先輩、めちゃくちゃ怖かったですよ」

「知ってる」

私は即答した。

二人で笑った。

「でもね」

あんこが続けた。

「ツボイ先輩が患者さんのことをすごく見てたのも、みんな知ってましたよ」

私は黙った。

「だから余計に、もったいないなって思ってました」

「何が?」

「そんなに患者さんのこと考えてるのに、怖さのほうが先に伝わっちゃってたから」

胸に刺さった。

でも、去年なら痛かったその言葉を、今年の私は少し違う気持ちで聞くことができた。

「そっか」

私は笑った。

「じゃあ、今から取り戻せるかな」

あんこも笑った。

「まだ15年目ですよ」


去年の冬、「この生き方しかない」と思っていた私へ

カフェを出ると、調布の街には冷たい冬の空気が広がっていた。

深大寺へ続く道の木々は葉を落とし、澄んだ冬空の下に細い枝を伸ばしている。

白い息がふわりと浮かんだ。

去年の冬。

私は、

「私には、この生き方しかない」

と思っていた。

15年間同じ病棟にいた。

いつの間にか「お局」と呼ばれた。

怖がられることにも慣れたふりをした。

「これが私だから仕方ない」

と思っていた。

でも、違った。

15年間続けてきた働き方と、

これからも同じ働き方を続けることは、

別の話だった。

今年の冬。

私は特養で働いている。

まだ分からないこともある。

失敗することもある。

人間関係に悩むことだってある。

それでも、利用者さんと笑う時間が増えた。

同僚へ、

「教えて」

と言えるようになった。

そして何より、

仕事へ行く朝、自分自身に鎧を着せる必要が少なくなった。

私は「お局」を辞めたのではない。

誰かに怖がられることで自分の役割を守ろうとしていた働き方を、手放したのだ。

15年目。

まだ遅くなかった。

冷たい冬風が頬をかすめる。

私はコートの襟を少し立て、あんこと並んで歩き出した。

去年より今年の冬のほうが、少しだけ穏やかだった。


💙あんこからのあいさつ💙

今回のエピソード、読んでみてどうでしたか?

今の職場で迷いながらも、自分が大切にしたい働き方を真剣に考えてみる。その結果として、残る選択をしても新しい道を選んでも、あなたが自分で悩んで歩き出した道なら、きっと大丈夫。あなたの張り詰めた心が、少しでも軽くなりますよう。

あなたの未来を守る「お守り」です。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です