看護師あんこ日記 episode5
50代のベテラン看護師。その姿は私の未来なのか
「ちょっと、あんこさん! 4号室の山田さんの検温データ、まだ入力されてないじゃない! 何やってるの!」
午前10時。病棟の廊下に、鼓膜を突き刺すようなハイトーンボイスが響き渡る。
声の主は、我が5階病棟の絶対権力者であり、通称“地獄の番犬”こと、50代独身の鬼師長だ。
「すみません、師長! 山田さん、さっきまで処置室に入られていて、今戻られたところなので、すぐに入力します!」
「言い訳はいいから手を動かして! ほら、次の点滴の時間でしょ!」
「はいっ!」
と元気よく返事をしながら、心の中で、
「いや、超能力者じゃないんだから処置中のデータは入れられんて……」
と、キレキレのツッコミを入れる。
師長はそのまま風のように去っていき、別の後輩に「そこ、ナースカートの整理が甘い!」と雷を落としていた。
相変わらず、隙がなさすぎる。
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仕事一筋の看護師人生。尊敬するけれど、同じ道を歩みたい?
鬼師長は、本当にすごい人だ。
それは病棟のスタッフ全員が認めている。
誰よりも早く病棟に出勤し、誰よりも遅くまで残って書類をチェックしている。
急変があればドクター顔負けの的確な指示を出し、人手不足の夜勤帯には「私が代わりに残るわ!」と、現役バリバリでベッドコントロールまでこなしてしまう。
仕事への情熱、知識、そして責任感。
どれをとっても超一流。
まさに「看護師の鑑」のような人だ。
だけど、ふと思う。
師長って、いつ休んでいるんだろう?
噂によると、師長は20代でこの病院に来てからずっと独身で、趣味は「仕事」、恋人は「電子カルテ」と言われるほど、人生のすべてをこの病棟に捧げてきたらしい。
そんな師長の後ろ姿を見つめながら、私は手元のマウスをカチカチと動かす。
「私……20年後、ああなれるかな。いや、なりたいのかな……」
心の中に浮かんだその疑問は、冷たい冷気となって、私の背筋をすーっと駆け抜けていった。
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30歳の看護師が考える、40代・50代のキャリアと働き方
30歳という年齢は、不思議なものだ。
20代の頃は「目の前の仕事を覚えること」に必死で、5年後や10年後のことなんて考える余裕はなかった。
けれど、仕事が一通りできるようになり、ふと周囲を見渡せるようになった今、職場のベテラン勢の姿が、どうしても「自分の未来の選択肢」として視界に入ってくる。
もし私がこのまま、この急性期病棟でがむしゃらに働き続けたら。
順調にキャリアアップして、主任になり、40代、50代を迎えたら。
「私も、あんな風にプライベートを全部犠牲にして、髪を振り乱しながら、病棟で後輩を怒鳴り続ける日々を送るんだろうか」
想像してみる。
20年後のあんこ、50歳。
独身か既婚かはわからないけれど、休日も病院からの電話に怯え、家に着いたら疲れてメイクも落とさずビールをあおり、翌朝にはまた戦闘モードで病棟へ出勤する。
……うん、かっこいい。
かっこいいとは思う。
でも、私の生きたい人生は、本当にそれなんだっけ?
私はもっと、大好きな映画を心の底から楽しむ時間が欲しい。
年に一度はちゃんと旅行に行って、美味しいものを食べて、大切な人と「仕事以外の話」で笑い合いたい。
仕事は一生懸命やりたいけれど、自分の人生そのものを「病院」という狭い箱の中にすべて閉じ込めてしまうのは、なんだか猛烈に怖い気がするのだ。
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管理職になれば幸せ?プロの姿の裏に見えた「疲れ」
その日の夕方、病棟でちょっとした急変があった。
若手ナースがパニックになりかける中、鬼師長がサッと現れ、一瞬で状況をアセスメントしてドクターにコール。
テキパキと処置を終わらせてしまった。
患者さんの家族に、
「大丈夫ですよ、安心してくださいね」
と声をかける師長の横顔は、本当に優しくて、プロフェッショナルそのものだった。
やっぱり、尊敬する。
あのレベルには、ちょっとやそっとじゃ到達できない。
けれど、処置が終わってナースステーションに戻り、ふと師長が漏らした、
「あー、肩凝った。もう最近、お惣菜買う元気もないわ」
という小さな呟きを聞いたとき、胸がキュッと締め付けられた。
どんなに無敵に見えるサイボーグのような先輩だって、すり減りながら、何かを犠牲にしながら、そこに立っているのだ。
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看護師のキャリアだけでなく「自分がどう生きたいか」を考え始めた
病院を出て、夜の駅へと向かう。
30歳の私は、まだ人生のルートをいくらでも書き換えることができる。
偉大な先輩へのリスペクトは持ちつつも、
「私は、私だけの幸せの形を見つけたいな」
と、夜風に吹かれながら強く思った。
明日のシフトは遅番だ。
帰ったら、師長のようにコンビニ飯で済ませるんじゃなくて、大好きなトマトパスタをちゃんと自分で作って食べよう。
自分の人生の主導権を、病院に渡しきってしまわないために。
(episode6へ続く)

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