看護師あんこ日記 episode4
新人看護師のインシデント。8年目の私は今日もフォロー役
「大丈夫、大丈夫! 誰だって最初は失敗するよ。次から気をつければ問題なし!」
引きつりそうな顔を必死に満面の笑みに変えて、私は泣きじゃくる1年目の新人ナース、みのりちゃんの背中をさすっていた。
原因は、彼女がやってしまった「インシデント(ヒヤリハット)」。
幸い、患者さんに影響が出る前に気づけたから良かったものの、点滴の速度設定を間違えるという、一歩間違えれば大事故になりかねないミスだった。
「うぅ……すみません、あんこさん……私、看護師向いてないですぅ……」
「そんなことないって! みのりちゃん、毎朝早く来て予習してるの私知ってるよ。今回は良い勉強になったと思って、ね?」
彼女の心折れそうなメンタルを必死にすくい上げ、傾聴し、自己肯定感を爆上げする言葉を次々と繰り出す私。
気分はすっかり、凄腕の心理カウンセラーか、あるいは慈愛に満ちた聖母マリアである。
なんとかみのりちゃんが笑顔を取り戻し、「明日も頑張ります!」と帰路についた時、時計の針はすでに20時半を回っていた。
定時は17時である。
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8年目の中堅看護師。仕事は「患者さんのケア」だけではなくなった
看護師8年目。
このキャリアになると、病棟での役割が一気に変わる。
自分の受け持ち患者さんのケアをするだけだった楽しい――いや、それなりに大変だったけど――20代は終わりを告げ、今や私のメイン業務は「指導」と「管理」だ。
プリセプター(新人指導係)としての役割はもちろん、病棟全体のリーダー業務をやる日も増えた。
仕事の覚えが遅い後輩がいれば一緒に居残りして教え、お局ナースに理不尽に怒鳴られてシュンとしている後輩がいれば、
「あの先輩、お腹空いて機嫌悪かっただけだから気にしなくていいよ!」
とチョコレートを握らせてフォローに奔走する。
後輩たちの不安や愚痴を吸い込み、綺麗な空気――前向きな言葉――にして吐き出す。
今の私のポジションは、さながら病棟の「人間空気清浄機」状態だ。
だけど、みんなが帰った後のひっそりとしたナースステーションで、残った点滴のダブルチェックや、みのりちゃんが起こしたインシデントの報告書をカタカタとパソコンで打ち込んでいると、ふと指が止まる。
「……あれ? 私のケアは、一体誰がしてくれるの?」
静まり返った室内で、その疑問が頭の中にポツンと浮かび、じわじわと広がっていった。
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「もうベテランだから大丈夫」と言われる中堅看護師のしんどさ
後輩たちの前では「いつでも余裕があって、優しくて、頼りになる先輩」を完璧に演じているけれど、中身はただの30歳の人間だ。
私だって、昨日のドクターからの冷たい態度に傷ついて、家に帰ってから枕を濡らした。
私だって、新しく導入された電子カルテのシステムについていけなくて、こっそりトイレで頭を抱えている。
私だって、終わらない委員会活動の資料作りに追われて、
「もう全部投げ出してハワイに逃亡したい!」
と毎日叫びたい。
それなのに、立場が上がれば上がるほど、周りからは「あんこさんなら大丈夫」「もうベテランだしね」の一言で片付けられてしまう。
先輩からは「もっとしっかり後輩を見て」と求められ、後輩からは「これどうすればいいですか?」と頼られる。
誰かの悩みを受け止める器にはなっているけれど、自分自身の悩みを吐き出す場所が、この病棟にはどこにもない。
フィルターが目詰まりを起こした空気清浄機みたいに、私の心はもう、限界まで他人のネガティブな感情でパンパンになっていた。
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後輩を支える毎日で、自分のメンタルケアは後回しになっていた
ようやくすべての書類を終わらせて病院を出ると、夜の風が驚くほど冷たかった。
最寄り駅までの帰り道、街灯の下をトボトボと歩きながら、胸の奥をチクリと突くような、強い「虚しさ」が襲ってくる。
仕事への熱意も、後輩への愛情もあるはずなのに、心が完全にカラカラに乾ききって、砂漠のようになっているのを感じる。
「私、何のためにこんなにすり減ってるんだろう……」
答えの出ない問いを頭の中で繰り返しながら、駅前のコンビニに吸い込まれた。
レジの横で温められている肉まんが目に入り、思わず注文する。
駅のベンチに座り、まだ熱い肉まんを半分に割って、ハフハフと言いながら口に運んだ。
じゅわっと広がるお肉の旨味と温かさが、張り詰めていた身体を少しだけ緩めてくれる。
「……うん、あったかい」
肉まんをモグモグ食べながら、私はスマホの画面を見つめた。
SNSを開けば、同世代の友人たちが「今日はキャリアアップの研修に行ってきた!」とか「昇進してプロジェクトリーダーになった!」と、やりがいに満ちた顔で投稿している。
彼女たちの言う「リーダーシップ」と、今の私がやっている「後輩のミスの尻拭いとメンタルケア」は、同じものなのだろうか。
30歳。
誰かを育てる責任は重々承知している。
けれど、その前に、私はもっと自分自身の心と人生を、ちゃんとお手入れしてあげるべきなんじゃないか。
最後の一口を飲み込みながら、私は「自分を最優先にケアする生き方」について、真剣に考え始めていた。
(Episode5へ続く)

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