看護師あんこ日記 episode22
初めて「看護師 転職」と検索してみた
カチャ、カチャ、カチャ。
夜勤明けの午後。
お気に入りの部屋着に着替えて、ベッドの上にノートパソコンを広げた。
いつもならYouTubeでひたすら推しの動画を漁るか、気づけばスマホを握りしめたまま泥のように寝落ちしている時間。
だけど、今日の私は一味違う。
ゴクリと唾を飲み込み、検索窓の白いボックスにカーソルを合わせる。
そして、これまでの8年間、一度も打ち込んだことのなかった禁断のパワーワードをキーボードでタイピングした。
【看護師 転職】
エンターキーを、タァン! と少し強めに叩く。
次の瞬間、画面には数え切れないほどの転職サイトや求人情報がずらりと並んだ。
「おぉ……本当に調べるんだ、私……」
なんだか悪いことでもしているかのようなドキドキ感で、心臓がトクントクンと早鐘を打つ。
病棟の師長や、あの気難しいドクターたちには絶対にバレるわけにはいかない。
アラサーナースの秘密の作戦が、ついに幕を開けた。
/
看護師転職サイトで見つけた「夜勤なし・土日祝休み」の求人
看護師向けの求人サイトをひとつ開き、名前や資格、経験年数などを入力して登録を済ませる。
「さて、どんな世界があるのかな……」
登録完了の画面から、求人検索のページへと進む。
条件指定のチェックボックスを眺めているだけで、私の目はいきなりランランと輝き出した。
そこには、今の5階病棟の辞書には絶対に載っていない、あまりにも魅力的な言葉たちが、これでもかと並んでいたのだ。
【夜勤なし】
肌と生活リズムを犠牲にしていた、あの夜よ、さらば!?
【土日祝休み】
推しのライブも、友達との旅行も、直前までシフトに怯えずに予定を立てられる!?
【残業少なめ】
「残業するな、でも資料は出せ」という、あの無理ゲーから脱出できる!?
【有休取得率が高い】
休みたい日に、もっと休みを取りやすい職場がある!?
「ちょっと待って。これ本当に同じ日本国内の、同じ看護師資格でできる仕事……?」
画面をスクロールする手が止まらない。
求人の詳細を見ていくと、さらに私の脳内メーターが狂いそうになった。
『美容クリニック:駅チカ、日勤のみ、カウンセリング中心。残業少なめ』
『企業の健康管理室:土日祝休み、日勤のみ。社員の健康相談業務』
『地域密着型クリニック:残業少なめ。日祝休み』
ま、眩しい……!
画面から溢れ出る新しい働き方の光線が、夜勤明けの私のどんよりとした眼球を容赦なく直撃する。
/
「看護師だから夜勤は当たり前」という思い込みが崩れた
これまで8年間、私は、
「看護師なんだから、夜勤をして一人前」
「忙しくて有休が取れないのは仕方ない」
「プライベートを犠牲にしてでも患者さんのために頑張るのが看護師」
という価値観の中で生きてきた。
だけど、こうして一歩外の世界を覗いてみれば、夜勤をしなくても、土日を休みながらでも、看護師の資格や経験を活かして働ける場所がある。
私は勝手に、あの5階病棟という狭い箱の中だけが、
「看護師として働く世界のすべて」
だと思い込んでいただけなのかもしれない。
「私、今まですごく頑なになってたのかも……」
これまでのサービス残業。
持ち帰り残業。
ドクターの八つ当たり。
休日まで入り込んでくる病院の仕事。
それらに耐えてすり減ってきた自分の8年間が、急に愛おしくなった。
そして同時に、
「私の人生、ほかにも選択肢があるんだ」
と、胸の奥にかかっていた霧がスカッと晴れていくような感覚に包まれた。
/
給料だけじゃない。看護師の転職条件を考え始めた
もちろん、求人を見れば、今より給与が下がる仕事もある。
夜勤をしなくなれば、夜勤手当がなくなるケースもあるだろう。
でも、それだけで「条件が悪い」と決めていいのかな。
毎晩、自分のベッドで眠れる。
休日の予定を立てやすい。
持ち帰り仕事がない。
心と身体に余裕ができる。
そういうものにも、ちゃんと価値がある。
逆に、今より給与が上がる求人だってある。
「給料がいくらか」だけじゃなく、
「どんな毎日を送れるのか」
まで含めて求人を見たほうがいいのかもしれない。
私は求人検索画面に並ぶ条件を、今までとは違う目で眺め始めた。
夜勤なし。
日勤のみ。
土日祝休み。
残業少なめ。
年間休日。
有休。
仕事内容。
給与。
「私が次の職場に求めたいものって、こういうことなんだ」
少しずつ、自分の転職条件が形になり始めていた。
/
30歳、看護師転職への第一歩。「外に出られる」と分かった
画面に並ぶ求人情報の山を見つめながら、私の胸の奥で、小さく、だけど確かな高鳴りが響き始めた。
「30歳、まだまだこれからじゃん」
玄関で靴が履けなくなって、ボロボロと涙を流したあの朝。
あの時は、絶望のどん底にいるような気持ちだった。
でも、あの限界があったからこそ、私はこうして新しい世界の扉に手をかけることができた。
20代をがむしゃらに駆け抜けて、8年間培ってきた経験とスキルは、消えてなくなるわけじゃない。
急性期病棟で身につけた経験を、別の場所で活かしたっていい。
私を都合のいいマシーンとして消費する場所ではなく、一人の人間として大切にしてくれる場所を探したっていい。
明日からの病棟勤務が急に楽になるわけじゃない。
でも、
「ここだけが私の世界じゃない」
と知っただけで、気持ちは驚くほど軽くなった。
「いつでも外に出られるカード」を、一枚手に入れたような気がした。
「よし、まずはこの気になる求人をブックマークに保存っと!」
マウスをカチッとクリックする。
その音が、私の新しい人生のスタートを告げるピストルの音のように、心地よく部屋に響いた。
夜勤明けの気だるさはどこへやら。
私は未来への小さなワクワクで胸をいっぱいに膨らませながら、第一歩を踏み出した自分をお祝いするために、ご褒美のハーブティーを丁寧に淹れることにした。
(episode23へ続く)

コメントを残す